JAVADA情報マガジン11月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-

2019年11月号

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個別のキャリア面談から見えてくる社会問題の背景や未来
④私たちは「違い」を超えられるか?

キャリア・カウンセラー
   錦戸 かおり 氏 《プロフィール
  (http://gambarekoubou.com/ / Blog:http://blog.livedoor.jp/usaginojun/

とうとう4回目、最終回になりました。お付き合いくださったみなさん、本当にありがとうございます。
このコラムがアップされるころには、ラグビーワールドカップも終わり、少し経ったころですね。今回のラグビーワールドカップで立派なにわかファンとなった私は、彼らの姿勢に何度も心を揺さぶられました。2度ほどスタジアムに行きましたが、終了後のノーサイドの空気は選手だけでなく、ファンも含めてすばらしいものでした。こんな空気を日常で味わえたらいいのに・・・何度そう思ったかわかりません。

 

私たちはさまざまな「違い」の中で生活しています。男女の違い、世代の違い、立場の違い、価値観の違い、・・・。多様性やダイバーシティ&インクルージョンという言葉をはじめて耳にしてからどのくらい経つでしょう。すっかり耳に馴染んでしまいましたが、その本当の意味を知り、実際の生活でどれだけ意識して取り組んでいるかと言われると、全く自慢できないのが現実です。みなさんはいかがですか?

私自身は仕事柄、相談ごとのある人のお話しばかりを聴いているからかもしれませんが、価値観の違いは、今後どんどん広がり、また深まっていくように感じます。多様化が進めば進むほど、「なに考えているのかわかんない!」という言葉は増えていくでしょう。それだけですめばよいのですが、その状態が進むと孤立する人は増え、その行き着く先には犯罪や疾病の多い世界が待っているように思えてなりません。
前回の「『産む』と『キャリア』 心の奥に潜むものと職場への影響」でも書いたように、ひとりひとりの心の中での葛藤は小さいものに見えるかもしれませんが、価値観の違いによる葛藤の中にい続けることは、想像よりはるかに大きなダメージがあるのではないかと思っています。私の杞憂であればよいのですが・・・。

いろいろな「違い」による摩擦がありますが、今回は世代間の価値観の違いの事例をご紹介しますね。

 

<価値観の違いから生まれる葛藤>

●自由に意見を言う30代の後輩と、子育てを大事にしろという60代に挟まれて。

40代半ばの女性Aさんは、職場の居心地の悪さを訴えて来談されました。
小学校低学年のお子さんがいるAさんは、できるだけ早く帰れるように周りの人たちともコミュニケーションを取り、仕事の工夫をしていますが、それでも帰りが遅くなってしまうこともあります。そんな時、60代の社員Bさんから何度も言われたのがこの言葉でした。「やっぱり家に帰ったときにお母さんがいないのはかわいそうだよなぁ」。30代前半の後輩女性Cさんは、それを聞いて「今の時代、そんなのは普通のことですよ!」とあっさり言い返すそうです。
二人の話を聞いてどう感じるのかを尋ねたところ、「Bさんの言葉にはとても傷つきました。Cさんの言葉には、よくぞ言ってくれた! と思うのですが、でも私にはとても言えない言葉のような気がします。・・・なぜかな、と考えたのですけれど、自分でも本当はBさんと同じように感じてしまう何かがあるからかなと。私は専業主婦の母に育てられたので、学校から帰るといつも母がいました。それができないので、私自身も子どもに対してかわいそうなことをしているように感じているのかもしれません・・・。本当はもっとそばにいてあげたいと思っているのだと思います」。
Aさんは、Bさんからたびたび浴びせられる発言に、心が揺さぶられ、締め付けられるようにはなるけれど、それでも経済的な問題もあるし、やりがいを感じる仕事なので、いつか自信を持って仕事の話を子どもにできるようにしたいとおっしゃって帰られました。彼女が最後に残した言葉、「40代の私たちは、上の世代の昭和の価値観と、下の世代の平成の価値観に挟まれて、とても窮屈な世代だと思います」は今でも私の耳から離れません。

このような事例を書くと、あたかも世代によって価値観がはっきり分かれているように見えるかもしれませんが、もちろんそうではありません。同じ時代に生きてきても、もちろんひとりひとり違います。

そして、この60代のBさんを悪者のように書いてしまいましたが、当然BさんにはBさんの大切な価値観があるわけです。働いているお母さんがたくさんいる中で、さすがに前述の発言は避けてほしいと思いますが、だからと言ってBさんが価値観を変えなければいけないのかというと、私はそうは思いません。そもそも価値観はそんなに簡単に変えられるものでもありませんし。
Bさんのお話を聴いていないので想像になりますが、BさんはBさんで、本当はとても居心地の悪い毎日を送っているかもしれません。そんなBさんに職場での前述のような発言を控えてもらうためには、Bさんが安心してBさんの価値観で話しができる場が必要なのではないか、そんな風に思っています。

 

<職場は価値観のるつぼ>

残念ながら、私たちはひとりひとり生きてきた時代も違いますし、育ってきた過程での体験は全く違います。でも、そんなことは関係なく共に働いています。毎日を一緒に過ごしていれば、見てきたものが同じような錯覚を起こしても仕方ないでしょう。でも、確実に違うのです。そんな中で、私たちは前述の事例にあるような、違いによるさまざまな葛藤と向き合わざるを得ません。

そんな葛藤はどのように和らげることができるのか? 最近そんなことばかり考えながらヒントを探しています。先日こんなお話を伺いました。

「役員会議の際、すぐに議題に入るのではなくて、ワンクッション入れています。」そんなお話を聞かせてくださったのは、マンションや商業施設の緑化事業を展開されている東邦レオ株式会社の吉川稔社長です。どのようなワンクッションかというと、それぞれの役員が今抱えているもやもやしたことや ざわざわ感じることを語り合うというものでした。家族に関する心配事が出てくるなど、仕事とは別の一面が語られるそうです。
仕事をしているときの顔とは違う一面を見ることで、きっとその人への理解はより深くなるでしょう。ああ、そんな悩みを抱えているんだな、と思うことで優しくなれるかもしません。こんな取り組みがあちこちでなされたら、パンパンに張り詰めた職場の空気も少し風穴が開くのではないか・・・私はこのお話を伺って、そんな風に思いました。

一方で、私のクライアントさんたちのことを考えると、職場でプライベートなこと、特にもやもやしたことをお話しするのはとても抵抗がある人が多いのが現実です。きっと彼女たちは言うでしょう。「ムリムリ、無理です! そんなことを話したら、どこでつけこまれるかわかりません!」。プライベートな事情や、まだはっきり輪郭がつかめていないもやもやした心のうちを話せる職場かどうか。また個人が話せる状態かどうか。それぞれの状況はまったく違います。
今、このような話ができない職場、できない人がとても多くなっているような気がしてなりません。上手に距離感をつかみながら、少しずつでもこのような話ができるようになれば、今後、違いを乗り越えていけるかもしれません。
あるクライアントさんのことばをご紹介しますね。

 

<キャリア・カウンセリングを練習場に>

30代前半の女性Dさんは、上司との社内面談に臨むに当たっての不安を抱えて来談されました。最近異動でやってきた上司は少し冷たい感じがあり、Dさんにとっては苦手なタイプです。今、仕事で抱えている不安や今後の希望などを伝えてよいものか。「安易に不安を語ったら評価が落ちてしまわないか?」とBさんは悩んでいました。

不安やもやもやしたものを語った後、Dさんはおっしゃいました。「キャリア・カウンセリングって、どう伝えるかの練習もできるのですね。どんな風に伝えたら私自身がしっくりくるのか、そんなことがわかってきました」。このように、クライアントさんからキャリア・カウンセリングの使い方を教わることも多いのですが、確かにDさんがおっしゃるように、キャリア・カウンセリングは車の教習所のようなものだと思えます。カウンセリングの場面で、心の中に何があるのかを探ったり確かめたり、何を伝え、何を伝えないのか考えたり、伝え方を工夫したり。そんなことを練習してから職場と言う路上運転に臨んでいく・・・。それを一人でできればキャリア・カウンセリングは不要ですが、悩みが深いとどうしても視野は狭まり、一人で考えるのは難しいでしょう。そんなときに「会話の練習場」としての利用価値があるのでしょう。

もちろんキャリア・カウンセラーが行う面談ではなくても、職場内でもさまざまな方法はあると思います。以前、このフロントラインで小野田博之さんが書いていらした「職場でのキャリア面談のススメ」が大きなヒントになるのではないでしょうか。

 

<おわりに>

心の中のもやもややざわざわを全く話せなかったり、話しすぎてしまったり。そんな調節機能が全般的に落ちているように感じます。とりあえず何を言っても許してもらえる、そんな"秘密基地"のような場所を誰もが持つことを期待してやみません。

どこでも良いと思うのです。自分にとって安心して話せる場が一つか二つあれば。そして味方になってくれる人がいれば。占いだって、スナックだって、坊主バーだって...。そんな相手や場を持てれば、孤立することもなく、たとえ時代にそぐわなかったとしても変えにくい価値観と共に自分を大事にできれば、体調を崩したり、他者を不安にしたり、攻撃する必要はなくなるのではないでしょうか。自分が感じているチクチクしたものを誰かにぶつけてしまう前に、そのチクチクを共に大切にしてくれる場や相手を見つけてほしいと思います。そして多くの人が、そういったチクチクを共に大切にしてあげられるような心のゆとりを持てる社会にしたいと真剣に思います。

結局最後は私の決意表明のようになってしまいました...。
毎回答えのない世界にお誘いし、しかもエビデンスも何もないお話でしたので、苛立ちを覚えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。肌感覚でのお話しに終始したことをお詫びしたいと思います。

このコラムを読んでくださっている方は、きっと社会をもっとよくしたいと思っている方たちに違いありません。何が起こるか不透明な未来ではありますが、少しでも前に進むために、共にああでもない、こうでもないと一生懸命 悩んでいきましょう。
何か決めぜりふを書きたかったのですが、思い浮かばないのですごすごと幕を下ろそうと思います。
みなさん、お元気で! ご精読、ありがとうございました!

 

※ケースについては、個人が特定されないようにいくつかのケースを混ぜてお伝えしています。ご了承くださいませ。

 

 


 

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