JAVADA情報マガジン11月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-

2016年11月号

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若者のキャリア形成とメンタルヘルスを考える
心理カウンセリングとキャリアカウンセリングの接点から

第4回 キャリア支援における不合理なものへの注目
 ~遊び・好奇心・賭けを取り入れる~

京都大学学生総合支援センター センター長(教授)
   教育学博士・臨床心理士 杉原 保史 氏 《プロフィール》 

若者のキャリア形成とメンタルヘルスをテーマに連載してきましたが、早いものでもう4回目、最終回となりました。最終回では、合理主義的なキャリア支援の限界について考えてみます。キャリア形成を、わくわくする未来への生き生きとした挑戦にしていくためには、遊び、好奇心、賭けといった、合理性を超えた要素が大事になってくるというお話です。

1.合理的なキャリア支援の考え方の限界

キャリア支援においては、しばしばキャリア・プランニング(将来の働き方についての計画立案)を指導します。仕事についての知識を身につけ、自己分析によって自分の特性を知り、将来のプランを立てる。非常に合理的な考え方です。
 しかし同時に、こうした合理的な考え方には限界もあると思います。不合理な方がよいというわけではありませんが、単純な理屈上の合理性ではカバーしきれないのがキャリアというものです。そこにキャリア支援の難しさがあり、面白さもあると思います。
 たとえば、芸術家の夫婦の間に生まれた若者がいるとしましょう。彼は子どもの頃から才能があると見込まれ、周囲からは、当然、親の跡を継ぐものと期待されています。彼は周囲の人たちから、成功が約束されているのだから、跡を継いだ方が安全だし、得だと言われています。しかし本人はその芸術が嫌で嫌で仕方がないのです。小さい頃から義務としてその分野の修養を強要されてきましたが、何度やめたいと思ったか分からないのです。それでもやめることは許されず、我慢に我慢を重ねて今日に至りました。他にやりたい仕事があるわけではありません。自分でもなぜこれほど嫌なのかよく分からないのですが、跡を継ぐのが嫌だということだけは非常にはっきりしています。
 この若者はどういうキャリア選択をするべきなのでしょうか? 合理的に考えていっても、絶対的に正しい唯一の答を示してあげられるわけではないでしょう。そもそも、こうした状況において何が合理的なのかということ自体が定かではありません。芸術の道に進むことが嫌だという思いは、本人にもよく分からないものであって、最初から意識的な合理性を超えたところにあるからです。
 もしこの若者があなたのもとへキャリア相談に来たとしたら、あなたはどのように応じるでしょうか? いろいろな考え方があると思いますが、私なら、まずは、この若者に、その芸術が嫌だという気持ちを詳しく話してもらうでしょう。その気持ちを受容的に聴いていくと、強い感情を帯びたさまざまなエピソードが語られるようになるかもしれません。怒り、恐れ、悲しみが表現されるかもしれません。跡を継ぐという選択肢を冷静に検討するためには、その芸術が嫌だという気持ちをあらためて体験し尽くし、そこに封印されていた感情を解き放つことが必要なのではないでしょうか。今まず必要とされているのは、合理的な理屈で導くことではなく、ありのままの感情の体験を促進することでしょう。
 少し特殊な例を挙げてみましたが、誰にとってもキャリアの悩みというのは、多かれ少なかれこうした性質を含んでいます。キャリア支援には、単純な意識的合理性を超えた要素が常につきまとっているのです。

 

2.合理的に考えすぎるという問題

実際、若者の進路の悩みを聴いていると、意識的・合理的な考えが足りない場合よりも、意識的・合理的な考えが過剰なために行き詰まっているように見える場合の方が目立ちます。A社とB社から内定をもらったが、どちらに決めたらよいのか? 自分のやりたいことは何なのか? 自分は何に向いているのか? 本人なりに必死に考えているのですが、考えれば考えるほど分からなくなってしまって、ノイローゼ状態に陥ってしまうのです。各選択肢の利点や欠点を挙げて点数をつけて比較してみたり、職業適性検査や職業興味検査を受けてみたりなど、合理的な方法を試してみても、ますます悩みは深まるばかりとなるのです。
 こうした場合には、合理的なディスカッションから離れて、感情面に注目することが必要です。彼らの抱えている不安を感じ取るようにしながら話を聴き、不安を引き起こしているものを探っていくのです。わけもなく悲惨な将来のイメージが心の片隅から湧いてきて、振り払おうとすればするほど、しつこく心に居座るようになっているのかもしれません。そういう場合には、不安を引き起こしているものを追い払う努力をやめて、むしろ何でもありのままに体験してやろうという積極的な構えを養うことが肝要です。不合理な不安を乗り越えるためには、そのような構えこそが必要なのです。
 こうしたケースでは、意識的に合理的に必死に考えること自体が、不安や恐れといった不快な感情を直接的に体験するのを避ける手段になっています。意識的・合理的に考えることは、一見すると積極的な対処行動のように見えて、実は逃避行動なのです。「そんなに難しい顔をして必死に合理的に考えているけど、それは何の役に立っているのかな」と明るいトーンで諭し、意識的・合理的に考えて感情体験を避けるという逃避行動にブレーキをかける方がよいでしょう。支援者自身が合理的に考えて解決することに価値を置きすぎていると、感情体験を避けるクライエントの努力を一緒になって強めてしまうかもしれません。

 

3.イメージの自律性

キャリア・プランニングによって描き出した望ましい将来の姿をイメージしようとしてみても、なぜかどうしてもうまくイメージできないというケースもあります。イメージしようとしても、絵空事のような感じになって、生き生きとイメージできないケース。イメージできるものの、わくわくするようなポジティブな気持ちではなく、重苦しい気持ちになってしまうケース。望ましい姿をイメージしようとしても、勝手にイメージが動き出して、ひどい失敗をする展開になってしまうケース。
 人生に実際に影響を与えるような影響力のあるイメージは、生き生きしたものである必要があります。しかし、望ましい姿を思い描いた通りに生き生きイメージするのはそう簡単なことではありません。むしろなかなかうまくいかないのが普通です。生き生きしたイメージであればあるほど、意志を離れて勝手に展開していってしまうものです。影響力のあるイメージには自律性があるのです。
 イメージの自律性は、意識的で合理的な思考を超えたところにある心の領域からのメッセージだと考えられます。どうしても生き生きとイメージできなかったり、イメージすると重苦しくなったりするのは、何かそのイメージには無理があると知らせているのかもしれません。意識的に合理的に考えた結果、それが望ましいキャリアだという結論になったのかもしれませんが、どこか無理していないか、心の奥底からの小さな声を聴き取るようなつもりで、もう一度、じっくりと自分の気持ちを感じてみることが役に立つでしょう。たとえその小さな声が不合理だと思えるようなものだったとしても、大事に聴いてケアしていく必要があります。
 勝手に展開するイメージは、その展開を楽しんで見守るようなつもりで、遊び心をもって何度も繰り返し味わってみることです。最初は、イメージの中で不安や恥などの不快な感情を体験して、中断したくなるかもしれません。それでも無理せず何度も繰り返していくと、そのうち不快ながらもゆとりをもってイメージを眺められるようになってくるでしょう。そうすると、イメージの展開の内容もまたひとりでに変わってくるものです。

 

4.合理性を超えたものへの好奇心

そもそも、人間には自分の心がすべて分かるわけではありません。また、未来のことも分かりません。それでも人はけなげにもその限界の中で精一杯のキャリア・プランを立て、よりよく生きていこうとするのです。そのキャリア・プランを有意義なものにするには、人間の意識的・合理的な知の限界を受け入れ、それを超える領域に好奇心をもつ姿勢、分からないからこそ、そこに賭けていく姿勢を培うことでしょう。
 スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授によれば、成功した人の人生を導いた出来事の8割は、予想外の偶然によってもたらされたものであったといいます。これはラッキーな人が成功できるという意味ではありません。誰の人生にも偶然はいつもころがっているのです。その偶然を活かすことができる人が成功するという意味です。クランボルツ教授は、そのためには、好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心を培うことが必要だと言っています。
 故スティーブ・ジョブズ氏は、自らの創設したアップル社を、突然、解雇され、すべてを失いました。しかし、そのことでプレッシャーから解放され、非常に創造的な仕事ができるようになったと述懐しています。元プロボクサーの内藤大助氏は、高校卒業後、内定先の地元のホテルから内定を取り消されてしまい、そのため、やむを得ず上京し、そこでボクシングに出会ったといいます。
 キャリアの自律的な形成や合理的なキャリア・プランニングは、重要ではありますが、あまりそれに捕らわれすぎないことも大事だと思います。自分でも理解できない、不合理とさえ思えるような心の声に導かれたり、予想外の悲劇的な出来事に導かれたりすることが、力強く豊かなキャリアをもたらすのです。

 


 

 

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