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平成27年度卒の新社会人が4月に入社してきてから、はや4ヶ月が経とうとしています。人事労務管理担当者や、配属先の上司・先輩など、新社会人を迎え入れる立場の方々は、これら新社会人たちの指導・教育に、ご尽力の日々を過ごしておられることでしょう。
統計によれば、大卒の新卒採用の3年後離職率は3割にも達しています。新社会人が組織の一員として定着するよう育てていくのは、以前よりも難しい仕事になっているようです。そもそも、少子化ゆえに新たに社会人となる若者の数は減少しています。ただでさえ数少ないその若者たちが、なかなか組織に定着してくれないのです。しかも、今、日本の企業や自治体は、団塊の世代が大量に退職していく時期を迎えており、新たな人材を育成することは、組織の存続にさえ関わる重要問題だと言えるでしょう。
彼らを選考し、採用し、研修してきた人たち、また職場で彼らの指導・教育に当たっていた人たちにとっては、何とか若者たちに職場に馴染んでもらおう、職場の目標にコミットしてもらおう、そこで働くことに生きがいを感じてもらおうと努力してきたのに、その努力がなかなか報われないことに、虚しい気持ちが湧いてくることもあるかもしれません。企業や組織の中核を担う世代の人たちから、今どきの若者が理解できない、どのように指導・教育をして行けばよいのか分からない、といった悩みが語られるのを耳にすることもしばしばです。
このことは組織にとっても悩ましい問題ですし、若者の側にとっても不幸なことです。組織の人事労務管理担当者や上司・先輩などが、職場での関わりを通して若者のキャリア形成を効果的に支援することができれば、組織の安定化・活性化につながりますし、若者の生活の質も高まります。双方のメンタルヘルスも向上するでしょう。
私は心理カウンセリングの専門家として、京都大学において長年にわたって学生の悩みの相談に取り組んできました。今回はその経験を踏まえて、今どきの若者を理解し、指導していく上で重要だと思うことを、このコラムで4回にわたってお伝えしてみようと思います。新社会人が皆様の組織の一員として活躍してくための一助になれば幸いです。
第1回テーマ:最近の若者は何を考えているのかさっぱり分からない!
1.はじめに
近年、企業や自治体では、しばしば、管理(監督)職を対象に、「コーチング」「メンタリング」「カウンセリングマインド」などをテーマとした研修がなされているようです。これらは、それぞれ、考え方や方法に微妙な違いはありますが、いずれも相手をより深く理解し、目標を設定し、モチベーションを創り出し、高め、維持していくことを目指すものです。また、そのために相手とのコミュニケーションの質を高めていこうとするものです。こうした研修がしばしばなされるということは、それだけ管理職者の方々にとって部下との関わりはときに難しく、スキルアップへのニードや要請があるということなのでしょう。
とりわけ、若い世代の人たちを組織の一員として迎え入れ、育成していくのには、特有の苦労があります。みなさんも世代のギャップにぶつかって困惑することがあるでしょう。私は、日々、さまざまな学生から相談を受けていますが、年を重ねるにつれ、世代のギャップを感じることも増えてきました。若者の悩みにはいつの時代にも共通する面もあるとともに、やはり年齢が離れていくにつれて、分かりにくいと思うようになる面も確かにあります。
そもそも、現生人類が地球に誕生して以来、約20万年もの間、社会のあり方にはほとんど変化がなかったのです。しかし、人類が農耕を始めた1万年ほど前から、社会はゆっくりと変化するようになり始めました。そして、その変化のスピードはどんどん加速する一方です。現代社会では、変化のスピードはほぼ極限に達し、ほんの一世代違うだけで相当に異なった経験をして育つほどになってしまいました。こんなことは人類史上未だかつてなかったことです。現代社会において、上の世代の者が若者の考えや気持ちを分かりにくいと感じるのは至極当然のことなのです。
それでは、長年にわたって学生の悩み相談を受けてきて、今や50代半ばに至った私が、現代の若者を見て感じることを少し述べてみましょう。その上で、彼らに援助的に関わっていく上で大切だと思うことについて述べてみたいと思います。
2.現代の若者心性の特徴
青年心理学という学問があります。20世紀の半ばから後半にかけての青年心理学では、「青年らしさ」とは、「反抗的で、羞恥心が強く、純情で感傷的で、素直さと攻撃性の両面をもっており、未来に夢と不安を抱き、誇大になったり卑屈になったりと自尊心が大きく動揺しやすく、ロマンチストで空想家であり、根本的に反保守的な理想主義的傾向を持っている」などと記述されていたものです。しかし20世紀の末頃から、研究者の間でも、青年は変わった、最近の青年はこのようには「青年らしく」なくなったとささやかれるようになってきました。
少し乱暴ですが、とても大まかに言ってしまうと、現代の若者は、おとなしく、従順で、現実的で、欲がなく、誇大な夢を抱かず、さほど情緒不安定ではなく、ノンポリで、どちらかと言えば保守的な傾向を示しています。個人主義的で、プライバシーを大事にし、対人的に踏み込んだ態度は無礼と見なされます。性別役割の均等化が進み、料理が得意な男子、企業や自治体で働く女子が増えました。おしゃれで、音楽やデザインなどの芸術領域に豊かなセンスを持っています。優しく、ボランティア精神を備えています。また、コンピューターリテラシーが高いです。もちろん、同じ若者でも個人個人を見ていけば例外もあるでしょう。これはあくまで群として見たときの、上の世代との間の相対的な印象の違いです。
大学で学生相談をしている心理カウンセラーの間でも、最近の学生気質の変化がしばしば話題になります。最近の学生は「悩まなくなった」という指摘がよくなされます。悩まなくなったと言っても相談件数が減ったわけではありません。むしろ相談件数はどの大学でも増えています。悩む代わりに「直面している問題を説明し、解決を求める」学生が増えたというのです。
実際、コンピューターゲームやウェブの閲覧がどうしてもやめられない、大学に行くモチベーションが湧かない、授業に出るのがつらい、といった問題の状況が一通り説明された後、「さくっと解決する方法を教えて欲しい」というリクエストがあって、その後、話が一向に発展しないことはよくあります。こちらから彼らの内面の思いや気持ちを探究してみようと誘いをかけても、あまり話は深まらないのです。
たとえば、留年を繰り返しているある学生に「ストレスを感じることは?」と訊いてみたところ、「特にないですね」という答が返ってきました。しかし、こちらから「たとえば教室に入るときに、みんなの視線が気になるとか、あの人は留年している人だって思われていないかと心配になるとか?」などと具体的に例を挙げながら尋ねると「あー、そういうことは確かによくあります」と言うのです。このように、自分の感情の動きに対して気づきが乏しい若者が増えてきたように思えます。微妙な心の動きは、丁寧に話を聴いて、こちらの推測したことを言葉にして積極的に尋ねてみる作業を重ねていった末に、ようやくはっきりしてくるのです。
こう言うと、何か私が、現代の若者には心の動きに鈍感な人が増えたと苦言を呈しているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。こうした若者たちの傾向は、決して若者たち自身の責任によるものではなく、社会環境の全体的な変化によって必然的にもたらされたものだと私は思います。このようなありようも、現代社会への適応の結果なのです。
というのも、若者たちの周りにいて彼らを育ててきた大人たちは、以前よりも忙しく、効率に追われています。時間に余裕のある祖父母世代との同居も減りました。彼らは、じっくり時間をかけて心の動きをきめ細かくフォローされることなく成長してきたのです。そして現在も、これからも、彼らを導く世代には、なかなかじっくり時間をかけて彼らの気持ちに付き合う余裕が与えられる兆しはありません。このことは、物質的には豊かになったのに、幸福感はむしろ低下しているという現代社会の現象とも軌を一にすることです。
若者の気持ちが分からない、考えが分からないという悩みは当然のものです。しかし、世代間にギャップがあるからと言って、若者を支援できないわけではありません。違うものを違うものとして尊重し、そこに好奇心を抱く構えが大切です。別に無理をして若者の仲間入りをする必要もありません。これは異文化理解と同じです。違いを尊重し、楽しむこと、違いへの寛容さと好奇心が大切です。
次回からは、以上を踏まえて、若者への援助的な関わり方について、もう少し具体的に踏み込んで考察を深めていきたいと思います。
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