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2011年12月号

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改めて考える~内的キャリアとキャリア開発
第1回「内的キャリアって?」~内的キャリアとの出会い‥‥自己紹介に代えて

有限会社キャリアスケープ・コンサルティング 代表 小野田 博之 氏 《プロフィール

これから4回にわたってこのJAVADA情報マガジンで記事を書かせて頂くことになりました。筆者はかれこれ20年あまり「内的キャリア重視のキャリア開発を理念的支柱とする人事」を標榜して人事制度の構築や運用を中心にHRM/HRD(人事管理/人材育成)に関わる支援を組織、個人に対して行ってきました。

なぜ「内的キャリア」なのか、「内的キャリアを重視したキャリア開発を組織の中で実現する」とはどういうことなのか、またそれが組織と個人にとってどのように意味があるのか、そして内的キャリア自覚を深めるためには‥‥そうしたことについて、これまでの個人と組織に対するキャリア開発支援活動の中で得られたことを中心に説明していきたいと思います。

初回はその基本となる内的キャリアについて取り上げたいと思います。内的キャリアは個人にとっての意味/意義の世界の話ですから、個人的な体験から解きほぐしていきたいと思います。

 

○ 内的キャリアとの遭遇

先に記しましたように、筆者は始めのうちは企業内で人事・教育担当者として、その後は外部から組織を支援する経営コンサルタントあるいは個人を支援するキャリア・カウンセラーとしてキャリア開発、組織開発に取り組んできました。とはいえ当初からこの領域を自身の仕事としていたわけではありませんし、目指していたわけでもありません。

内的キャリアという言葉に出会ったのは初職の新聞記者からソフトハウスの人事教育部門に転職してからです。そこでは課長代理昇格者を「キャリア開発ワークショップ/CDW」に派遣することになっていました。会社から離れた伊豆で行われる2泊3日のワークショップは「これまでにない体験ができた」と参加した管理職の反応が良かったので、係長だったにもかかわらず上司に頼み込んで潜り込ませてもらいました。

このワークショップは、「個人と組織の新しい共生を実現するために、まず個人が自身のキャリアについて真剣に考えられるように自己理解を深める場を提供する」というものでした。中でも印象深かったのはトータルライフ(全人生)という観点から、自分が生まれてから死ぬまでという長さで行った分析作業です。自分の親の残りの人生の長さ(え? こんだけ?)、また家を構えて子育てを始めた時の父親の年齢(え? 今の自分の歳でもう?)、自分のこれからの仕事人生の長さ(まだこんなに!)に愕然としました。

「一体、何をやっているんだ自分は! このままでいいのか? こんなに"のほほん"としていていいのか?」。限りがある時間を、どう生きていくのか、またその中で大きなウエートを占めている「働く」ということについてどう取り組んでいくのか-それを考えずにはいられませんでした。にわかに「自分のこれからのキャリア(仕事人生)をどうするか」ということが身近なテーマとなりました。

 

○ 何を頼りに選ぶのか?

どうするかといっても選択肢は膨大にあるようでいて、実はほとんどないということにも気づかされました。何かやろうと思えば、何でもできる。選択肢はありあまるほどあるのですが、多すぎて手に余るのです。海辺で砂を見ているのと同じで、目の前に砂浜があるのは分かるのだけれども、そこにある砂粒一つ一つがどんな色形をしているかは眼に入らないので、その中から選べと言われても選べないのです。

そのとき、ワークショップの冒頭で説明を受けた「内的キャリア」を知るということが腑に落ちました。選ぶには何らかの基準、拠り所がないと選べないのです。その手がかりが内的キャリアなのでした。意志決定する拠り所、物差し、数ある選択肢の中から自分にとって意味/意義のあるものを選択するための基準です。先の砂浜の例に準じていうなら、自分にとって意味のある砂粒を選り分けるための篩(ふるい)ともいえるでしょう。

ワークショップの自己分析作業はこの篩(ふるい)、あるいは判断するための物差しである内的キャリアを探索する手がかりを得るためのものでした。これまでの体験などを改めて丁寧に思いおこしてみたりする中で明らかにしていくわけです。筆者にとっては次の3つのことが印象に残っています。

一つ目は就職活動中に新聞社の最終役員面接でのことです。「なぜ新聞社なのか」という当然尋ねられるはずの質問になぜか準備していなくて、慌てて「人間を見るのが好きなので。電車を待っていても周りの人の様子を見ていますよ。面白くて飽きません」と口にしたのですが、面接が終わったあとで「そうだ、そもそもそういうことを勉強したかったんだよな」と改めて納得したのでした。長い間忘れていたこのフレーズがワークショップ中にふと思い出されたのです。

もう一つはキャリア・カウンセリングでのこと。「どうしてカウンセラーをしているんですか」と尋ねたときにカウンセラーが答えた「私はね、カウンセリングで世の中を変えようと思っているんですよ」という一言。筆者は驚きました。「世の中を変える」という点にです。「世の中って変えてもいいんだ」ということに気づかされたのです。これに、もう一つの手がかりであるE.H.シャイン博士が創り上げたキャリア・アンカーの概念を用いた自己分析作業の結果との相互作用から、「人が自分の持ち味を活かして働けるような世の中に!」という篩ができあがりました。

それ以降、転職し起業を考えるとき、あるいは仕事を依頼されてそれを自分が引き受けるかどうか迷ったとき、そしてコンサルティング業務において意思決定をするとき、さまざまな場面でこの篩を利用してきました。本当にこれでよいのか、まだまだ「実験中」でそう言い切れるかどうかは最後まで分かりません。もしかすると10年後には白旗を揚げているかもしれません。ただ個人的な体験にすぎませんが、決めるときに「決められなくて困る」ということは少なくなりましたし、決めたことについて人のせいにすることもなくなりました。いい年をして言うのもはばかられますが、大人になったなぁと思います。

 

○ 外的キャリア中心では解決しきれないこと

内的キャリアを理解することにどのような意味があるのでしょうか?「キャリア開発/キャリア・カウンセリング」(横山哲夫編著、生産性出版)では内的キャリアを働く上での意味/意義(Quality of Working Life : QWL)、あるいは働きがいと、生きていく上での意味/意義(Quality Of Life : QOL)、あるいは生きがいであるとしています。

これと対になるのが外的キャリアです。内的キャリアが文字通りその人の内的な側面を指すのに対して、こちらは外的な側面を指します。外側から見て分かるもの、共通理解があるので本人の説明を待たなくても分かるもの、たとえば職業名や役割名、担当職務名、役職、肩書きなどを指します。履歴書や職務経歴書に書けるものであり、それを読めばその人についておおよその見当をつけることができます。誰にでも分かる共通記号ともいえるでしょう。

これまでキャリアを考えるというと外的キャリアについての検討が多かったと思います。内的キャリアは先に記しているように意味/意義の世界ですから、敢えて本人に聞いてみないと分かりませんし、自己洞察を経ていなければ本人さえも気づかないものだからという理由もあるでしょう。しかし、内的な側面にも目を向けていないと、十分にキャリアを考えたとはいえません。なぜなら、例えば同じ職場で同じような仕事をして、同じような評価を得ていても、日曜の夕方にサザエさんを見ながら「明日からまた一週間、頑張ろう!」と思う人もいれば、「また会社か。あぁ胃が痛い」と思う人もいるからです。外的キャリアだけではこの差について説明できないからです。

この反応の違いは、仕事に対するその人の考え方や価値観、自分に向いている/向いていないという自己概念-といった内的な側面によるもので、そのことが「前向き」にさせたり「後向き」にさせたりしていると考えられます。自分が働き、生きていく上で何を求め、何にこだわり、何を重視しているのか、内的キャリアを知っておくことは自分にとって意味のある職業選択や組織内での職務/役割選択を考える上で大いに役立つといえるでしょう。同じように時間が過ぎていくのなら、より納得感、充実感のある方がよいではありませんか。

 

○ 内的キャリア自覚は外的キャリアの選択の幅を広げる

内的キャリア自覚の深まりは外的キャリアの選択の幅を広げることにもつながります。例えば「設計」という外的キャリアにこだわっていると、営業関係の仕事は視野に入らなくなってしまいます。しかし、設計という外的キャリアにこだわる理由、つまりそこに求める意味が「この領域における自分の専門性を活かして、より役に立つ製品を創り出すこと」であれば、ユーザーのニーズをくみ取って技術的なサポートをしながら仕様を取りまとめ、装置やシステムを構築していくようなスタイルの営業であれば、先のこだわりを現実のものとすることができます。内的キャリアは意味の世界ですから現実の世界とは必ずしも1対1の関係にはありません。営業やエンジニアといった外的キャリア上の「記号」に囚われていると見逃してしまいます。

養老孟司氏谷島一嘉氏との対談(「ウソ!」=アーティストハウスパブリッシャーズ、2004年)で指摘しているように、世の中に「自分にあった仕事」というような都合のいいものはそれほど多くはありません。自分で仕事をつくるのであれば別ですが、仕事はそうした個人の都合で生成されるものではなく、組織が業績をあげるために必要な業務を一人当たりとしてまとめたものです。個々人に合わせたオーダーメードのものではありません。つまり、担当した仕事がすべて自分の興味関心を満たされていることはほとんどないのです。

逆に仕事の中身が100%嫌なところばかりということもなさそうです。「もうやっていられない」という仕事でも、細かく探していけばある部分では内的キャリアを満たしているということもあります。例えば「だれかに感謝されるような仕事がしたい」と口にする人は少なくありません。勤務時間中いつも感謝され続けるような仕事はめったにありませんが、逆に誰からも全く感謝されない仕事というのもあまりありません。「お客様と接する仕事ではないですから」という職場でも、同僚や部下から感謝されることもあるでしょう。目に見える形での謝意はないけれど、実はみんなありがたいと思っているということもあります。それにもしも、「やはり目に見えていないと」と思うなら、そこまで自分の求めているものがはっきりしているのですから、フィードバックが得られるような仕掛けを業務の中に織り込んでしまうように改善するという方法もあります。

 

○ 次回は「組織にとっての意味」を検討

内的キャリアの違いによる外的キャリアに対する反応の違いは、「何をするか」は同じであっても、誰がするかによって成果が異なるということをも意味します。つまり、適材適所を実現しようとするならば、その仕事をすることができるかどうかということのほかに、その人の内的な側面まで考慮した方がよいということになります。

このことは組織サイドにとっては職務配分や配置上の課題でもあります。このように内的キャリアについて考えておくのは組織における生産性向上や創造性の開発/発揮という面でもおいても意味があることといえます。次回はこの点を考えていきたいと思います。

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