JAVADA情報マガジン9月号 キャリアに関する研究者からの提言【キャリアナウ】

2012年9月号

←前号 | 次号→


これからのキャリア戦略について考える

第3回:戦略的キャリア・マネジメントのすすめ

三菱UFJリサーチ&コンサルティング プリンシパル吉田 寿 氏 《プロフィール

◆その道を究める

三菱UFJリサーチ&コンサルティング プリンシパル 吉田 寿 氏「僕には愛がない 僕は権力を持たぬ」(楠本憲吉編『村野四郎詩集』、白凰社、p.26)

ロンドン五輪の体操個人総合の最終種目である床の演技で、内村航平が爪先までピンと一直線に伸びた肢体でフィニッシュの三回転捻りを決め、金メダルを手中に収めたその瞬間、筆者の脳裏に浮かんだのは、村野四郎の「体操」という詩の一節だった。着地は一歩だけ乱れたが、彼が目指す「美しい体操」が十分体現されたすばらしいフィニッシュだった。

日本人は、元来、「その道を究める」ということが得意である。たとえば、一意専心、現場の擦り合わせ技術に磨きをかけ、日本企業がこれまで「ものづくり」の分野で世界をリードしてきたのは、歴史の事実である。

日本の五輪史上最多のメダル獲得数を記録した今回のロンドン五輪で活躍したアスリートたちも、それぞれの道を究めた結果がメダルにつながっている。日々の鍛錬で研ぎ澄まされた自分の技を、刹那の勝負のタイミングに賭けた結果ともいえる。彼らは、基本的にストイックであり、孤独であり、求道者だ。職業人生もまた、かくありたいものだと考える。

晴れの舞台で一瞬の脚光を浴びるために、人は舞台裏で大量の汗を流す。その成果が問われたのが、あの場面である。努力が結実されたその瞬間に、過去の労苦のすべてが報われたと感じても不思議ではない。だから、人は歓喜の涙を流すのだ。キャリア開発についても同様である。あらかじめ決められたサクセス・ロードがあるとは思えない。一心不乱に道を究める姿勢が、まずは厳しく問われてくる。

しかし、一筋縄ではいかないのがキャリア・マネジメントの現実だ。なぜなら、長いキャリア人生においては、往々にして想定外のことが実際に起きるからである。そこで、キャリアを戦略的にマネジメントするという発想が生まれてくる。

 

 

◆戦略的キャリア・マネジメントを実践する

「戦略的キャリア・マネジメント」の提唱者の1人にペギー・サイモンセン1がいる("Career Compass", Davies-Black Pub)。「戦略的キャリア・マネジメント」とは、キャリアの一連の流れを戦略的に計画・実行し、それを体系的にマネジメントするということだ。

そのためには、戦略的に自己をマネジメントし、戦略的に自己のキャリアを診断できなければならない。自分が最も価値を置くことに基づいて意思決定を行い、長期的なパースペクティブ(見通し)の下、戦略的なビジョンやありたい姿を思い描く。自分のキャリアについて、的確なサポートをしてくれるコーチやメンター(指導者・助言者)の存在も不可欠だ。そのうえで、キャリアに全体感を持ち、長期的・俯瞰的な視点で自己のキャリアをセルフ・マネジメントしていくということである。

よく言われるように、21世紀のキャリア環境は20世紀のそれとはまったく異なるものとなる。それは、端的に言えば、会社主導のキャリア形成から自分主体のキャリア・マネジメントへのシフトである。そんな時代にはどうすべきか? 戦略的キャリア・マネジメントにおいては、次の3つのステップに着目する。

(1)内側に目を向ける(Looking Inward):自分にとって大切な価値観やビジョンは何か?

(2)外側に目を向ける(Looking Outward):自分を取り巻く外部環境がもたらす影響は?

(3)将来に目を向ける(Looking Forward):将来的・中長期的に設定すべき目標とは何か?

つまり、自分自身を冷静に自己分析し、置かれた環境の変化を的確に察知して、将来ビジョンや長期目標を立て、いまやるべきこと、次にやるべきことを順次明確化して実行し、それが果たされれば、また次の短期的な目標に着手する。このような具体的な手順を踏みながらキャリア・ゴールに突き進むことが、戦略的キャリア・マネジメントの基本となる。

 

 

◆「キャリア・チェンジ」と「キャリア・トランジション」

キャリア・マネジメントに戦略的に取り組む場合、まずは「キャリア・デザイン」が重要となる。人生の節目・節目をどうとらえるかは、人によって解釈もさまざまだが、それぞれのキャリアの節目に、当面の将来を見越したキャリア・デザインを考えることは、自分の職業人生の方向感を自律的・主体的に見定めるうえでは大事な作業となる。しかし、すでに指摘したように、キャリアには想定外の出来事がつきものだ。自分1人の努力ではどうにもならないことも増えてくる。そこで、そんな場合にはジタバタせずに、あえて「流されてみる」。

「人生は、キャリア・デザインとキャリア・ドリフトの繰り返しである」と喝破したのは、神戸大学の金井壽宏2教授だった。ここでいう「ドリフト」とは、「漂流する」という意味。つまり、「ここは重要」と思えるキャリアの節目では、真剣にキャリア・デザインを考えるが、それ以外のところでは自然の流れや偶然の出来事に身を委ね、キャリア漂流するのも悪くないということだ。これは、前回取り上げたクランボルツ3の主張にも一脈通じるところがある。

一方、キャリアの基本は「行動してから考える」ことだとするのが、フランスのビジネススクールINSEADのハーミニア・イバーラ4教授の立場だ(『ハーバード流 キャリア・チェンジ術』、翔泳社)。これは、彼女が自著のなかで「新しいキャリアを見つけるための型破りな9つの戦略」の筆頭に掲げている項目である。つまり、自分のキャリアについて事前にあれこれ分析しても、結局、具体的に行動して結果を見ないとわからない。とりわけ、自己のアイデンティティ(自己同一性・自分らしさ)の根幹をも揺るがすような「キャリア・チェンジ」のケースでは、あれこれと逡巡5していても仕方がない場合もある。だから、実際に行動するなかでいろいろなことを学び、自ら気づいて軌道修正を繰り返し、自分らしいキャリア形成を図るべきとする考え方である。

ここで問題となるのは、現在のキャリアから次のキャリアへ向かう「過渡期」(トランジション)の過ごし方である。イバーラ自身も「型破りな戦略3」で「過渡期を受け入れる」としているが、この「キャリア・トランジション」の考え方については、ウィリアム・ブリッジズ6の理論からの示唆が有益だろう(『トランジション』、創元社)。

たとえば、現在の状況から次の状況へと移る場合、途中には必ず「過渡期」がつきものだ。これは、キャリアにおいても人生においてもそうである。ブリッジズは、これを次の3つのフェーズに分けて考えた。

 

【フェーズ1】 エンディング:すべてのトランジションは何かが終わることから始まる。

【フェーズ2】 ニュートラル・ゾーン:終わりと新たな始まりの間には中間領域がある。

【フェーズ3】 ニュー・ビギニング:新たな始まりは中間領域での過ごし方から導かれる。

 

特にニュートラル・ゾーンにおいては、物事の終わりに伴う深い喪失感や虚無感があり、場合によっては、混乱を引き起こすケースも生じてくる。しかし、一方でこの時期は、何か新しいことに取り組むための創造力の発揮が期待できる絶好の機会でもある。この時期の過ごし方次第で、新たなキャリア機会の可能性も拡がっていく。だから、早まった結論を出すのではなく、新たな始まりを前向きにとらえ対処すべき時期なのだ。

 

 

◆それでも人生に「イエス」と言おう!

今回は、3回にわたりキャリア戦略について考えてきた。結論的に言えることは、この不確実性が伴う想定外の時代に、よりよいキャリアを考えるということは、自分に与えられた人生に真摯に対峙して生きていくことに等しいということだ。

その生涯を「生きる意味とは何か?」の追求に捧げた精神科医に、ヴィクトール・E・フランクル7がいる。彼は、ユダヤ人であることで、第2次世界大戦中にナチスによって強制収容所に収容された。明日の命が保証されない極限状態のなかでの過酷な経験から、『夜と霧』(みすず書房)という名著を残すことになる。『悩む力』(集英社新書)などの著書で知られる東京大学大学院の姜尚中8教授も、彼の思想に少なからず影響を受けた1人だという。

そのフランクルの著書『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)では、自分の人生に与えられている意味と使命を見つけるための手がかりとして、次の「3つの価値」を挙げている。

 

(1)創造価値:創造的な活動や自分の仕事を通じて実現される価値のこと。

(2)体験価値:自然とのふれあいや人とのつながりのなかで実現される価値のこと。

(3)態度価値:変えることのできない運命にどう対処したかによって実現される価値のこと。

 

人は、自分の欲求や願望中心の生き方をしている限り、本当の人生の意味を理解することはできない。むしろ、人生からの呼びかけに応えていく「意味と使命中心の生き方」へ転換すべきと説くのがフランクルの思想である。幸福や自己実現といったものは、その結果としてついてくる。これは、まさにどんなことが起こっても、自分の人生に「イエス」と言えるだけの価値を見出していくことと同義である。

よりよいキャリアを創るとは、よりよい人生を歩むことにほかならない。読者諸兄におかれては、それぞれのあるべき明日に向かって「豊饒なるキャリア」を歩んでいただきたいと考える。

 

 

 



前号   次号

ページの先頭へ