JAVADA情報マガジン8月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-
◆2017年8月号◆
明るい「えがお」にあふれたキャリアを積むために |
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Officeえがお 代表(Facebook)、2級ファイナンシャル・プランニング技能士、PHPビジネスコーチ |
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私は28年間、大同生命保険株式会社に勤務していました。営業部門での人材育成・採用や研修部門での研修などの経験を活かし、講師になろうと、52歳で早期退職しました。その後、国家資格2級キャリアコンサルティング技能士の資格を取得し、キャリアコンサルタントとしても業務を行っています。 大学進学問題母からの刷り込みで「女性も勉強の時代、一生就ける職業を持て」と言われながらも 、なんとなくのんびりと大学進学を考えた私でした。高校を決定した理由も、母の行きたかった高校を勧められたからでした。母の刷り込みがこのころは強かったと思います。その後、将来何になりたいかも決められないまま(漠然と、古典の先生にはなりたいと思っていました。)大学に進学しました。その大学では2つの学部に合格しましたが、学部を決定したのも、私の嫌いだった先輩と同じ学部はいやだったからでした。その学部よりも偏差値の高いところへ行きたいという、偏ったプライドからでした。その結果、古典の先生にはなれない法学部の選択となりました。もし、その時に、少しでも大学生活を『職業自己概念を成長させるために過ごす』目的として、過ごすことができたなら、いろいろな選択肢があったように思われます。一つの歪んだ選択肢(あの人と同じ学部には行きたくない)ということだけが先行し、選んだ大学でした。
就職活動上述のとおり、私はキャリアプランもないまま、自分に何ができるのかも考えられないまま学生生活を過ごしました。当時は不景気で就職難。ましてや、女子で4年制の大学卒業予定者など採用してくれないという環境の中の就職活動です。 女性は『家庭に入るもの。腰かけでいいから、短大卒業者が良い。』と言われていました。現実に私の友人が「父親のコネだ」と公言し、大企業に内定が取れたのを間近で見ていました。私は『銀行が女子大生を採用するようになった』という記事を見て、銀行の先輩訪問をしました。しかし、先輩からの言葉は『君は花嫁修業をしていたらいいんだよ』と言われ、挫折してしまいました。その後は、やる気も失せ、大学生就職希望ランキングのトップ(当時は航空会社・商社・銀行・コンピューターメーカーなどでした。)を冷やかしで受験する始末です。公務員試験は全く勉強せずに受験するなど、キャリアコンサルタントの視点に立てば、問題山積の大学生でした。『D.E.スーパー 職業発達理論』でアプローチし、『自己概念を育てること』ができれば、どのようなキャリアを歩んだだろうか...と振り返ってみます。まさに15歳から24歳【探索段階】です。 しかしながら当時は、いろいろな分野の仕事や必要条件も知らずに、やみくもに毎日を送っていった日々でした。 ![]()
キャリアコンサルタントとしての関わり方今、もし、この女子大生(私のことです)をキャリアコンサルティングするならば、皆様はどのように関わりますか?大きく膨らんでいる経験 ii (経験からの歪んだ思考)が大きいわりに、自己概念が小さいと思います。ASキャリア iii 主催定期勉強会『D.Eスーパー職業発達理論について』の意見交換の中で、『自己概念を育てていく』『経験をスリム化させて、自分を大きく育てる。』ということをお教えいただきました。キャリアコンサルティングを学習した今、その言葉が私の心に落ちました。彼女は経験と自己概念に共通項を見出すことなく、自尊感情が低く、行動は消極的になっていったと見受けられます。もっと、肯定的自己概念を大きく膨らませるように、キャリアコンサルティングできたなら彼女はもっと多くの選択肢を見出し、早め早めの行動ができていたかもしれません。 iv こんな就職活動をしていた私は、入社式直前で、大同生命保険株式会社 v に内勤営業職として採用されました。同社によって、私は育ち、素晴らしいキャリアを積ませていただき感謝しています。次回はその経験とキャリア理論を合わせた一考察を行いたいと思います。
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