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JAVADA情報マガジン12月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-

2014年12月号

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キャリア・コンサルティング普及への取り組み〜私の描くキャリア・コンサルティングの将来像〜
第1回『私のキャリア・コンサルティングの変遷』

株式会社ASキャリア 代表取締役 瀬谷 俊宏 氏 《プロフィール》 

はじめに

私が将来を強く描き始めるきっかけは、中学校時代の英語教員との出会いであった。人を魅きつける話術、生徒への細やかな気遣い、裏表のない人柄に、その当時の私には、輝いて見えた。謂わば、私の今日の人間的・職業的モデルとなった。
 そして、最初の職業は、教育産業界で英語科教員であった。元々、私は言語に興味があり、生徒が言語を探究する楽しさや面白さに触れて欲しいという熱意だけが、当時の私の原動力だったと思う。そして、その熱意が大きく揺らぐ時期が前触れもなく訪れたことは、現在、そして将来の私の礎となったと感謝している。
 全4回の連載を通して、全国の数多くのキャリア支援者の中の一人として、キャリア・コンサルティング普及のために、私が実践してきたこと、また、して行きたいこと等を限られた誌面の中で等身大の私をご紹介させて頂きたいと思う。読者の皆様にとって賛否両論に二分するかもしれない事をお許し頂ければ幸いである。
 連載のテーマ(予定):第1回『私のキャリア・コンサルティング変遷』、第2回『キャリア・コンサルティング普及のためには何が必要か(1)』、第3回『キャリア・コンサルティング普及のためには何が必要か(2)』、第4回『今後のキャリアビジョン』

 

(1)キャリア・コンサルティングとの出会い

私は、非常に幅広く領域を捉えると、人を援助する仕事を好んでやってきたと思う。
英語科教員から始まり、管理部門で人事労務、広報広告宣伝等と一見すると関連性がないように思えるが、私のキャリアの中では、これまで人を観て仕事をしてきたことが私のコアである。
 人に関わる領域の中で、職業人初期の頃は、英語を教えることが援助手法であり、管理部門では、人事労務管理部門の援助手法であった。それらも人の人生に関わる分けであるからキャリア・コンサルティングだと言えるが、人を援助する方法には、それだけでは多様な環境に置かれていたり、多様なパーソナリティを持った人へ、私の援助手法のバリエーションでは限界に達していることも実感し始めた。それから間もなくして、財団法人関西カウンセリングセンター(現在の公益財団法人関西カウンセリングセンター 以下、センター)では心理学を学び始める機会を得た。その経験は、私にはとても新鮮であり、刺激的であり、『人』はとても多様性に富んでいることや心理学の諸説の人間観も様々であることを知った。この学びは、後々、キャリア・コンサルティングを行う者としての私にとって、大きな助けとなった。
 センターで心理学を学んでいる頃、初期の『キャリア・コンサルタント養成講座』の募集を目にした。キャリア・コンサルタントが今程、知れ渡っていなかったことや『カウンセラー』を目指すことに猛進してきた私にとっては『コンサルタント』という言葉に些か抵抗感もあったが、センターに大きな信頼を寄せていたことが受講の決定打となった。

講座風景
写真上・右:
公益財団法人関西カウンセリングセンター
標準レベルキャリア・コンサルタント養成講座講座風景

 

(2)キャリア・コンサルタント養成講座から学んだこと

キャリア・コンサルタント養成講座で学ぶ知識は、私がこれまで心理学で学んできたものとは違う印象を受けた。経営学、労働経済や労働法などは体型的に学ぶことは、特にそう実感した。
 受講中から修了してしばらくは、カウンセリングとコンサルティングとは何がどう違うのかということに大いに迷ったことを今も鮮明に覚えている。
 それ程、私は未熟だったと述懐する。見方を変えれば、「両者は何がどう違うのかという問い」を教えてくれたと考えている。答えは、理論的な定義をみればわかることだが、私の体内感覚としては、未だに明確な答えを得ていない。これは、私がこれからもコンサルティングを行っていく以上、永遠に問い続ける課題だと思う。

 

(3)キャリア・コンサルタントを職業にするきっかけ

前職を早期退職してキャリア・コンサルティングを生業にして行こうと明確に思ったのは、30代後半になってからである。その動機は非常に単純明解で仕事や人生に不安や恐れを持つ人の支援をする者が、それなりの安定した仕事と人生の上に立って支援ができるのだろうか?という私自身への問いかけの結果であった。勿論、私の周囲からは心配の声があがったことは言うまでもないことである。
 それでも私自身の思いは、コンサルティングを生業にして行こうと思った。私の物事の選択の際、意思決定に大きく影響を与えているものは、細々と自営業を営んできた両親を幼い頃から身近に観てきたことが脈々と息づいているからだと思う。両親の働き方は、私にはまるで『自分が迷った時は最も険しいと思う道を行け』と、両親の背中が語りかけているように事業を行っていた。その当時、私は「自営業だけは就くまい」と固く誓った。しかし、会社を辞めて事業をする道を選んだのは、(手前味噌であるが)本当に人生は何が起るか分からない面白さがあると思う。

 

(4)キャリア・コンサルタントとして(初期)

独立開業して3年間は、「メシは食えない」と先輩方は教えてくれた。退職直後、私の事業の基幹の一つであるキャリア・コンサルティング業務を行うチャンスを運良く若年支援専門相談機関から頂いた。前職から諸相談やコンサルティングを行っていたものの、「キャリア・コンサルタント」という資格のせいか、身の引き締まる思いと力み過ぎが入れ混じって妙に不自然さを醸し出していたのではないかと思うと恥ずかしく思えてならない。

資料表紙




写真左:
「キャリア・コンサルタント全国大会
若者シンポジウム 第5分科会」
2007年12月23日
 於:大阪 発表資料表紙

(5)キャリア・コンサルタントとして(中期)

数年、キャリア・コンサルティングを行っていると、私の援助法は相談者の役に立っているのだろうか?と問いかけるようになった。そのため、ケースの検証を盛んに行った。ケースの検証は、私の援助の傾向を多面的に教えてくれた。その時、可能な限り「人」を理解する術(すべ)は、心理学や社会学、経営、経済、法律・・・・ありとあらゆる知恵を結集して行くことが必要なのだと実感した。
 ケースの検証を通して、その当時の私に充足しているもの、不足しているものが少しずつ明確になり、自己研鑽に励んだことが思い出される。あの頃程、多くを学び、苦労したことは、今日までないと思う。今の私は、まだまだ不完全なキャリア・コンサルタントであると思うし、むしろ、いつまでも学びの歩みは留まるところがない。いつまでも何かを創り出すことが大切だと思う。





写真右:
「キャリア・コンサルタント大阪大会
 第1分科会」
2009年3月2日 於:大阪
発表資料表紙
発表資料表紙

(6)キャリア・コンサルタントとして(後期)

キャリア・コンサルタントの初期・中期の様々な体験の積み重ねが、私というキャリア・コンサルタントが果たす役割や社会的使命を持つようになってきた。初期・中期には、キャリア・コンサルタントとしての「私」に専ら注意が注がれていた。しかし、後期に差しかかって私の居る業界に目を向け始めた。ご存知の通り、キャリア・コンサルタントが求められる社会にあって、ますます私たちの存在意義が求められる。その時代の要請に応えるためには、キャリア・コンサルタントの業界を社会に敷衍して行くことが、キャリア・コンサルタントの30年後にかかっているように思えてならない。元来、私は、良くも悪くもその思いを持ち続けるだけでは満足できない気質のため、キャリア・コンサルティングに関わる事業を始めることを決心した。
それが株式会社ASキャリアである。

 


文献・写真出所

  • 「キャリア・コンサルタント養成講座風景写真」 公益財団法人 関西カウンセリングセンター
  • 「キャリア・コンサルタント全国大会(大阪) 若者シンポジウム 第5分科会 発表資料」(2007年12月23日)瀬谷俊宏
  • 「キャリア・コンサルタント 大阪大会 第1分科会 発表資料」(2009年3月2日)瀬谷俊宏
  • 株式会社ASキャリアホームページ http://www.ascareer.jp/

 

 

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