JAVADA情報マガジン11月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-

2014年11月号

←前号 | 次号→

第4回 グローバル

日刊工業新聞 論説委員兼ニュースセンターデスク 八木澤 徹 氏 《プロフィール》 

新聞紙上で「グローバル化」「国際化」という文字を目にしない日がありません。経済や企業活動はもちろん、教育を取り上げた記事でも「グローバル」が目につきます。
 10月に世界大学ランキングの中で最も権威があるとされる英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が2014年度の世界大学ランキングを発表しました。トップは4年連続で米・カリフォルニア工科大学で、東京大学が昨年と変わらず23位、京都大学は59位にランクを下げました。国内では絶大な力を持つ東大、湯川秀樹氏ら数多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた京大も世界ではそこそこなのです。
 東大はアジアでトップですが、シンガポール国立大学(25位)、香港大学(43位)、北京大学(48位)、ソウル大学(50位)などに追い上げられています。東大を始めとした日本の大学は教育と研究の評価で高評価を得ていますが、論文の引用数と学内の外国人比率が反映される「国際性」の評価が伸び悩んでいます。この結果を受けて各新聞は「日本の大学が国際的な評価を高めるためには、さらなる国際化を進める必要がある」とヒステリックな調子で書き立てています。

政府も大学の国際競争力を高めるのに懸命です。文部科学省は国際競争力を高めるために重点的に財政支援する「スーパーグローバル大学」37校を選びましたが、海外から優秀な教員を獲得するなど世界レベルの教育研究を行う「タイプA(トップ型)」には東大、京大など旧帝大や早稲田、慶応の私立2大学を含む13校が選ばれました。日本の大学教育の国際化をけん引する「タイプB(グローバルけん引型)」には千葉大や長岡技術科学大、金沢大、明治、法政、立命館など24校が選定されました。
 これらのスーパーグローバル大学には日本学術振興会から補助金が支給されます。タイプAが1大学当たり年間約4億2000万円、タイプBが同1億7000万円で、最長2023年まで支払われます。100校を超える大学が応募しましたが、選考は教育・研究力に加え、教員に占める外国人比率の向上策など国際化が点数化されました。
 「タフでグローバル」-。東大の濱田純一総長は、今年の入学式で東大の学生が目ざすべき姿をこう語っています。今年10月には理学部で海外の大学生を3年生に編入する「グローバルサイエンスコース」を開始しました。初年度の今年は中国の大学から6人、米国の大学から1人。講義は全て英語で行われ、将来は理学部全体で受け入れる予定です。
 京大は政府の補助金で5年間で外国人教員を100人雇用し、教養科目の半数を英語で行うと発表しました。まるで明治初期の「お雇い外人教師」ようです。
 大学側にとっては補助金狙いの側面があります。かつて国立大学の授業料は私立の10分の1ぐらいでした。しかし、2004年の国立大学改革で国立大学は文部科学省の管理と庇護を離れて法人化され、運営交付金がここ10年で10%も削減されたために授業料は私立の2分の1程度まで上がってしまったのです。

しかし、日本の教育機関への支出の割合は2010年で3.6%と経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の5.4%を大きく割り込み、4年連続で最下位という不名誉な数字です。しかも、年々下がっています。
 欧州では国立大学が原則です。何でもかんでも市場原理主義と見られる米国でも、学生の8割が州立大学など公的セクターに属しているのです。逆に日本の場合は私立セクターが8割を占めます。私立大の乱立と少子化で大学の経営はますます厳しくなっているのです。
 東大や京大も例外ではありません。そもそも、大学改革は各大学が文科省の管轄下からはずれることで、個性ある大学を創出することが狙いだったはずなのに、改革=国際化、グローバル化ということになってしまいました。

もはや旧聞に属しますが、日本人3人が青色LED(発光ダイオード)の開発でノーベル物理学賞を受賞しました。青色LEDは日本人による「国産」だ。3人とも日本の教育で育ち、大学で日本語の講義を受けて研究に励んだのです。物理学、化学、生理学・医学の自然科学分野での日本人の受賞者は19人になりましたが、日本国内で研究者となったのは17人です。外国留学をしなくても、英語で講義を受けなくてもノーベル賞が取れる珍しい国なのです。こんな国は母国語が英語の米英を除けば(インドも共通語は英語ですが...)日本とドイツ、フランス、ロシアぐらいでしょう。ちなみに、英語での大学教育が進んでいる韓国籍はゼロ。中国籍の受賞者もこの分野ではいません。

2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんの初めての海外旅行はストックホルムでの授賞式だったのは有名な話しです。いかに日本人が明治時代から海外の専門書を漢字に翻訳、または「現象」や「概念」「理性」などに造語し、欧米の科学技術や哲学、法律・政治、国家のあり方まで"換骨奪胎"し、"自家薬籠中の物"にしてきた証でもあります。「サラリーマン」や「フリーター」野球の「ナイター」などのカタカナ語は和製英語ですが、何となくニュアンスが伝わります。
 しかし、最近では「グローバル」「コンプライアンス」「インセンティブ」のように日本語として咀嚼されないまま使うケースが増えています。日本の文化も大学改革や小学校低学年からの英語教育義務化など教育のグローバル化によって失われようとしているのです。手段であるはずの英語が目的化しているとしか思えません。
 良く語られるエピソード。あのミスター・長嶋茂雄が現役時代にアメリカ遠征に行った時の「こっちの子は英語がうまいな~」ではないですが、いくら英語を習ってもネーティブには勝てませんね。また、いくら英会話がうまくなっても論文を読んだり書いたりする能力とは別物です。むしろ、世界から留学生を集め、日本語が使える外国人を育てるべきだと思います。

そのうちに、オソロシイことに「日本語をやめて英語を共通語とせよ」という成長戦略が出されるのかもしれません。「グローバル化」とは「アメリカ化」のことなのでしょうか。
 最近、佐伯啓思著の「西田幾多郎-無私の思想と日本人-」(新潮社刊)を読みました。高名な経済学者である著者が、西洋近代哲学を摂取しつつ日本独自の哲学を確立しようと苦闘していた西田幾多郎の人生を背景に、西洋哲学と日本の「情」の思想を融合しながら「純粋体験」「絶対無」など独自の思想を生みだした西田哲学の源流を辿った本です。
 西洋哲学の根底にあるものを日本思想に見いだした西田哲学を再評価し、政府が進める英語教育重視の教育改革や大学改革を上滑りで時流に乗っただけの「コクサイカ」-と切り捨て、「手段であるはずの英語が目的化している」と批判しています。
 さらに「特殊性を失うことは文化というものがなくなるということである」との西田の言葉を引用。「端的に言えば日本がなくなることだ」と、無条件にグローバル化を追い求める今日の日本の「脱日本化」に警鐘を鳴らしています。

哲学者で翻訳家でもある神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏はこう言います。「自然科学領域では英語がうまいとか下手だとかいうことはどうだっていいんです。創造的なアイデアが出やすい環境をどうやって作るかということの方がずっと優先順位が高い問題なんですから」。ようするに、通じれはいい「プア・イングリッシュ」で十分だと言います。私もそう思います。外国人への取材もプア・イングリッシュでできますから。

 

 

前号   次号

ページの先頭へ