JAVADA情報マガジン3月号 フロントライン-キャリア開発の最前線-
◆2013年3月号◆
「トランジションとキャリア開発」第4回 |
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career-seeds yamamoto 代表 山本 貞明 氏 《プロフィール》 |
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今回は、現場(1)「求職者支援」の現場から、50歳代3人の方の相談事例をお話しします。 シャインによれば、人は仕事だけでは生きられず、ライフサイクルにおいて、仕事と家族と自己自身が個人の内部で強く影響し合う。この相互作用は成人期全体を通じて変化する。ここにすでに、動態的なダイナミクスがあることになろう。個人も組織も複雑な環境のなかに置かれており、両者の相互作用は一部外的諸力によっても決定される。こうして、仕事の決定について、きわめて複雑な動態的なダイナミクスが出現することになる。 (E.H.シャイン著「キャリア・サバイバル」より)
○大学院進学を選んだ男性の事例Gさんは、大学(情報工学)を卒業し、IT企業でシステムエンジニア(SE)として、約30年働いてきました。40歳過ぎからは、プロジェクトマネージャー(PM)として、システム開発のマネジメントを行ってきました。会社の都合で、退職され、就職の相談に来られました。「年齢的に、次もSEとして、就職することはできるのだろうか?」との相談でした。 カウンセラーとして、経歴などをお聴きしながら、いくつかの問いかけをしました。
カウンセラーとして、次のように捉えました。
数回目の面談で、Gさんの決断をお聴きすることになりました。 退職(トランジション)を機に、残された時間をどう働きどう生きていくかを考え、専門性の追求と叶えられなかった願いの実現を実行する決断をされました。大学院でさらなるキャリア開発へ向けての新たな一歩を踏み出されました。無事大学院に入学され、現在はIT関連でアルバイト的に働きながら、念願の大学院で学んでいます。
○留学した女性の事例Tさんが相談に来られたのは、6年間のアメリカへの留学を終えて、帰国して半年ほど経ったころでした。 Tさんは、50歳の時に、アメリカへの留学を決意し、家族の反対を押し切ってアメリカへ行きました。語学力を身につけ、2年後に大学へ入学し卒業しました。 Tさんの経歴は、短大を卒業し、大手企業に就職。事務や秘書の業務を数年経験し、結婚で退職。すぐに子供に恵まれ、男の子二人を出産。お子さんから少し手が離せるようになり、30歳過ぎから実父の経営する会社で、父である社長の秘書として働き始め、49歳まで働いていました。 留学に至った経緯をお話されました。
「前年に父の年齢もあり、父が会社を親企業の関連会社へ売却しました。従って、私も退職することになりました。子供たち二人も大学を卒業し、就職しました。たまたま二人とも地方勤務となり、家を出ることになりました。それまで、仕事と子供の世話に忙しい毎日を過ごしていたのですが、夫と二人の生活になりました。」 留学したことで犠牲にしたこともあり、帰国した今、とにかく仕事に就きたいと相談に来たということでした。 Tさんを留学という行動まで導いたのは、仕事と家族の中のある役割という二つの活動を失うこと(トランジション)でした。これらのトランジションが、Tさんの存在意義の揺さぶり、アイデンティティの危機となり、再構築を迫ったと思います。その再構築のために、若い頃から学びたかった英米文学を求め、留学(キャリア開発)の一歩を踏み出すに至ったと考えられます。
○母の介護のため退職した男性の事例Hさんに初めてお会いしたのは、数年前でした。そして、昨年一段落したので、仕事に就きたいと相談に来られました。何が一段落したのかを、初めてお会いした時のことをお話します。 数年前のHさんとの面談Hさんは、ある外資系大手の医療関連用品の会社で、店舗展開や販売促進など経験があり、お会いした時は経営企画のマネージャーとして、事業運営の仕事で働いておられました。子供の時の病気で身体がご不自由で杖を使っておられました。 ご相談の内容は、「今の仕事を辞めるかどうするか迷っている」「実は、母がこのところめっきり足腰が弱くなって、体調もあちこち良くないところがあり、一人で生活するのが難しい状況になってきている」「そんな状況なので、仕事を辞めて、母の世話に専念したいと思っているのだが、どう考えたらよいのだろうか?」「私は、ご覧の通り身体障害があり、子供の頃から、母に並々ならぬ面倒を掛け、大学にまで通わせてもらい、言葉では言い尽くせない苦労をかけたと思う」「母が、今一人で生活するのが大変な状況で、わたしとしてはわたしの出来る精一杯のことをしたいと思っている」「なので、仕事を辞めようと思っているのだが、どうなんだろうか? 本当にそれでいいのだろうか?」とのことでした。 Hさんのお話をお聴きする中で、カウンセラーとして以下のことをお伝えしました。
次の面談で、Hさんは以下のように話されました。 そして、先に述べましたように、お母様のことが一段落したので、仕事に戻りたいと相談に来られました。数年前の相談の後、退職され、お母様のお世話に専念し、最期を看取ることができたとのことでした。ご自身の身体がご不自由で、介護は大変だったと想像しますが、「母と過ごした2年と3ヶ月は、掛け替えのない時で、本当によかったです。」とHさんはしみじみと話されました。 今回は、「これからの自分の仕事をどうしていくかを考え、活動を始めたい」、そして「できるなら介護などの福祉関連の施設で、これまでの事業運営の経験を活かしたい」と明確な方向性を持っておられ、すでに情報収集など活動を始めておられました。 Hさんのキャリアに、ご家族との人間関係・生活が影響してきた顕著な事例です。キャリアから、家族のこと生活のこと、自分を取り巻く環境のことを切り離すことはできません。Hさんの場合、ご家族の問題で退職され(トランジション)、介護という経験を経て、福祉関連の仕事がしたい(キャリア開発)とあらたなキャリアビジョンを目指すことになりました。
広島大学の岡本祐子先生によれば、
「中年期の入り口、定年退職期というライフサイクルにおける発達的危機期に、これまでの人生を問い直す時、私たちは若き日に行った将来設計の中で、実現できたことと同時に、未だ果たせていない「夢」に思い至る。これらをどのように評価し、折り合いをつけるのか、これからの自分の生き方の中にどのように組み込み、統合していくかは、中年期の重要な課題となる。(中略)それは、人生の岐路に聞こえてきた「本当に自分らしい生き方とは何か」という内なる声を自分の中に取り入れ、統合していくことであり、自らの生き方に広がりと深みを増すことでもある。」(「アイデンティティ生涯発達論の射程」岡本祐子編著より) お話した50歳代の3人の方は、人生の岐路に聞こえてきた「本当に自分らしい生き方とは何か」という内なる声に真摯に向き合いました。そして、自分らしいキャリアを歩き始めました。
シャインの発達的な考え方をご紹介して終わりたいと思います。「人生はとぎれることなく発展する過程であり、人は常に(つまり年老いてからでさえ)、少なくとも未使用の潜在能力を開発し、成長することができる。」 60歳代の私を勇気付けてくれます。ありがとうございました。
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