1.はじめに
これから3回にわたり、筆者が開発を進めている、「職場のメンタルヘルスと法」という新しい領域についてお伝えします。これは、職場でのメンタルヘルス不調の未然防止と組織の活性化、生じた不調者への適正な対応を図るための学際的で実践的な法律論です。
論より証拠なので、先ずは以下の事例をご覧下さい。これは、複数の実例を集約し、加工したものです。
2.事例
- A年:Xが公立大学法学部を卒業後、公益財団(Y)に採用された。採用時には、体力測定と心理検査項目を含む一般職業適性検査が行われた。Yには、種々の規制や前例があって、創造的な業務を行い難い条件にあった。Xはその状況を変えようと、問題点を指摘したり企画を出したりしたが採り入れられず、周囲の職員との関係も疎遠になっていった。
なお、X自身、その生育歴との関係で、幼年時代から社会的コミュニケーションを欠き、いじめに遭うなどして、人間関係が安定し難いなどの問題を抱えていた。学力は比較的高かったが、努力に見合った成果は得にくく、特に理数系の難解な応用問題を苦手としていた。大学卒業後はマスコミへの就職を希望していたが叶わず、Yに就職した経緯がある。就職後、仕事には精力的に取り組み、高度な作業を高い完成度でこなす反面、連続してケアレス・ミスを犯したり、文章や話し言葉が冗長・難解で周囲の理解を得にくい等の問題があり、人事評価は、「中」から「中の上」程度にとどまっていた。法定時間外労働は、ほぼ一貫して60時間/月程度であった。
- A+3年4月:Yでのストレス・チェックで、Xは高ストレスとの結果が出た。
- A+4年4月:B課長が、Xの上司として赴任し、Xや同僚のC、Dに対して厳しい態度をとるようになった。飲み会や休憩の時間に、「組織になじめない奴には辞めてもらった方が良い」、「こんな奴と結婚する女の気がしれない」などの発言もした(発言の相手はX本人だが、他の者も聞こうと思えば聞ける距離にいた)。
- A+4年10月:ストレス・チェックで、B課長の管理部門のストレス度数が高い値を示し、X自身のストレスは最高レベルとなった。この頃から、Xは、転職のため税理士資格をとろうとして、睡眠時間が4~5時間/日となり、仕事上ミスが目立つようになった。また、職場の女性との関係がこじれ、総務部あてに苦情メールが送られた。
- A+4年12月:B課長が人事評価会議で、Xや同僚のC部員について、「うちのためにならないので、なるべく早く辞めてもらいたい」などの発言を繰り返したほか、定例の昇進時期が近づいた頃、団体幹部や、Xの人事に関わる人物に対して、業務上の態度やミス、本人の女性関係の噂などに関する悪評を個別に伝達していった。
YのF理事長は、Xの上司に当たるE部長やX本人から事情を概ね聞き知っていたが、B課長との関係などを考慮し、積極的な対応は講じなかった。
- A+5年3月:就業規則の定めに照らし、職場秩序を乱したことと、病気療養の必要の2つを根拠に、欠勤措置を経ずに休職が命じられた(産業医Iは、Yの人事労務担当者から意見を聴かれたが、特に反対しなかった。以下、Yによる措置については同じ)。
- A+5年10月:初めて心療内科専門のG医師を受診したところ、業務上り患した不安障害により休養加療を要する旨の診断書が発行された。
- A+6年2月:G医師が、おおむね寛解状態にあり復職可能だが、職場の配慮が必要な旨の診断書を発行したため、職場に提出して復職を求めたが、産業医Iによる面談が実施され、本人のYへの不満の多さや復帰への不安から、時期尚早として拒否された。
- A+6年3月頃:H総務課長が、Yで勤務する社外カウンセラーLが持つXの個人履歴情報の提供を要請したところ、それには応じられないとして、代わりに(カウンセラーL自身の判断で)本人同意なく産業医Iに伝達された。
- A+6年4月頃:産業医Iの判断に基づき復職が認められたが、「疾病休職者の復職の方法については、産業医の意見を踏まえ、法人が決定する」との就業規則規定を根拠として、向こう3か月は軽作業で賃金は半額、休職期間は半分進行する扱いとされた。しかし、Xはその作業に関心を持てず、おおむね税理士資格試験のための受験勉強をしていた。
- A+6年7月:本人同意なく軽減勤務期間が2か月延長され、休職期間が進行した。これに怒りを感じたXが、同年9月ころになって、B課長とH総務課長に苦情を述べたところ、B課長より「そもそも君は問題社員だという自覚が必要だ」などと言われ、種々の心身症状や精神症状が現れ、再び完全な欠勤状態に至った。
- A+6年10月:G医師が、勤務先の問題による不安障害等の再発のため、休養加療と職場側の真摯な配慮を求める旨の診断書を発行した。
- A+6年11月頃:(税理士資格はとれないまま)Xの転職先が決まりそうになったが、身辺調査の際、同僚Jが秩序違反と病気療養のため休職中である旨を伝えたところ不採用となった。
- A+7年1月:Yは、休職期間満了が近いとして、Xに対して、現状に関する主治医(G医師)の見解をきくよう求めたが拒まれた。そこで、本人同意のないまま、産業医Iから直接G医師に連絡をとり、改めて所見を確認したところ、「会社の対応の問題で精神疾患が発症し、快復に向かっていたのに悪化した。・・・診断名は、不安障害、うつ病である」旨が回答された。
産業医IがG医師に対して、その後の連携と情報交換を求めたところ、本人同意がないことと法律上の守秘義務を理由に(全面的に)拒否された。
Yは、休職期間を2か月延長した。
- A+7年3月:G医師が復職可能の診断書を発行し、Xも復職を希望したが、Xを受け入れられる部署が見つからなかったため、休職期間満了による自然退職とした。
*なお、Xが欠勤、休職または半休職状態にあったA+5年3月~A+6年4月、A+6年4月から同年9月(「半」休職状態)、同年9月からA+7年3月の間、欠勤または休職期間中は、傷病手当金等が支給されていたが無給、半休職状態は、所定賃金の半額しか支給されていなかった。
3.問 題
以上の事例について、以下の問いにお答え下さい(回答は次号以降でお伝えします)。
(1)XがYを相手方として訴訟を提起するとすれば、どのような請求が考えられるでしょうか。また、どのような判決を招くでしょうか。
(2)事例中の下線部に法律上の問題があるか否かについて、理由と共に述べて下さい。
(3)XがYの退職後に利用できる可能性のある社会保障・福祉制度には、どのようなものがあるでしょうか。
【参考になる条文】
- 労働基準法第19条
業務上の傷病で療養している期間と、復職後30日について解雇を禁止する旨の規定。第119条に罰則が定められている。労働契約法第16条が定める民事上の解雇規制とは別ものであり、本条を守っても、民事上の解雇規制を免れるわけではない。労基法第81条と併せ読めば、打切補償を支払う限り、3年間の雇用継続後、解雇を行い得ることになる。また、近年、アールインベストメントアンドデザイン事件東京高判平成22年9月16日判例タイムズ1347号157頁のように、①就業規則の解雇規定、②療養補償と休業補償の自己負担での支払い、③職場復帰支援の努力の3要件を充たせば、3年間の雇用継続と打切補償の支払いにより、民事上も解雇制限を免れる旨の判例も出ている。
- 労働契約法第16条
日本では、一般に労働者の解雇が難しいという知識はよく知られている。本条は、まさにその旨を定めたもので、民事上、解雇する合理的な理由と、解雇するほどの相当性がない限り権利濫用になるとしている。現に、精神疾患を含め、傷病が原因となって就労不能、非行行為などの事例性を呈する例については、たとえ私傷病であっても、裁判所は容易に解雇を認めず、適材適所を求める傾向にある(カンドー事件東京地裁平成17年2月18日労働判例892号80頁など)。
- 民法第536条第2項
契約などによって債権債務関係が生じた間柄で、ある債務が不可抗力によって履行できなくなった場合、日本の民法では、原則として債務者がその危険を負担することになっている(民法第536条第1項)。たとえば、私傷病で労働者が労務を提供できなくなった場合、原則として給与を受給する権利を失う。しかし、債権者側の事情でそうなった場合には、債権者がその危険を負担する旨を定めたのが本条である。よって、業務上の事由で労働者が病にかかって働けなくなった場合、契約上の給与を受給する権利を失わないと解されている。
- 民法第709条
わざと(:故意に)、もしくは過ち(:過失)によって、違法に他者の権利や利益を犯した場合(:「不法行為」を犯した場合)、その損害を賠償する責任を負う旨を定めている。「過ち」は、その時々にその人物が置かれた条件下でやるべきこと(注意義務)を怠ったか否かで判断される。要するに、加害者が被害者に賠償すべき旨の規定であり、ハラスメント事案などで、部下が上司個人を訴える場合にも使われる。
- 民法第715条
人を使って事業を営む者は、使用人の犯した不法行為につき、自身が独自に負うべき不法行為などの責任を超え、特別な責任を負う旨を定めている。使用人の選任や監督にそれなりの注意を払っていれば免責されると書かれているが、実際の運用では殆ど認められない。たとえば、従業員が不法行為を犯せば、半自動的に会社が責任を負うことになる。
- 民法第415条
契約違反などがあれば、違反者がそれによって生じた損害を賠償する責任を負う旨を定めている。一般にもよく知られるようになった安全配慮義務は、契約上の義務(:雇用契約などを結ぶと当然に付いてくる義務)と理解されているので、その違反は契約違反となり、この条文が適用されることになる。最近まで、安全配慮義務違反にはこの条文が適用されていたが、平成19年に労働契約法第5条が雇用契約上の安全配慮義務を明記した。
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