JAVADA情報マガジン5月号 キャリアに関する研究者からの提言【キャリアナウ】

2014年5月号

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「自律型キャリア」--私を救った上司の言葉

大正大学  廣川 進 氏 《プロフィール

○増える異動関連の相談

私は企業の相談室のカウンセラーをしていました。毎年この時期になると人事異動関連の相談が増えてきます。年間でももっとも件数が増えるのがこの時期です。3月は異動内示を受けた人が、不本意な異動先で逡巡したり、逆に異動希望を出していたのに内示のなかった人がもう一年ここで我慢するのは耐えられないと訴えたり。4月5月になると、新たな異動先での不適応の問題が多くなります。本人としては「もう耐えられない、いっそこんな会社、辞めてしまおうか」というところまで追い詰められている場合も少なくありません。

こうしたケースはいろいろな角度から考察できると思いますが、今回は「上司の言葉」という視点から考えて見たいと思います。

人事異動を告げる時、上司がどんな言葉で説明をしているのでしょうか。
これまでの評価、今回の異動で組織が期待していることを伝えているでしょうか。とくに難しいのは、今の仕事での評価があまり芳しくなくて、異動先も本人には不本意であろうという場合です。辞令が出たのだから黙って従え、とまでは言いませんがなかなか言葉を尽くして説得する上司ばかりではなさそうです。日頃から仕事ぶりをみている上司だからこそ伝えられることがあるはずなのです。これまでの経験を新しい部署でも活かせるヒント、手がかりを示したり、異動にあたり少しでも希望の持てる要素を考えたり。

 

◯上司、人事に余裕がなくなってきた?

上司の側に余裕がなくなってきているのでしょうか。

ときどき人事の方々対象の研修会で話したり、その後の懇親会でお話を伺うこともあるのですが、最近、何か変化があるようにも思えます。うつ病による休職、復職の対策とか、いわゆる「新型うつ」社員への対応とかの研修会で、「対応の基本はオーダーメードです、ひとりひとりをよく見て、その人に合わせた対応をしてください」などとお伝えするのですが、聞き手の反応がいまひとつなのです。うちの会社では復職にあたっては外部の専門機関のリワークを3ヶ月義務付けており、そこを修了して復帰してきたら、あとは自己管理が基本でしょう、という訳です。会社はリハビリ機関でないことはもちろんですが、職場での配慮なしに復職の成功、定着は難しいでしょう。

あるいは「社員がうつになりにくい職場とは、モチベーションやリーダーシップの問題と切り離せない問題で、管理職研修でもメンタルヘルスだけでなくコミュニケーションの観点を取り入れることが予防、対策になります」といってもなかなか具体化までいかないことが多いです。忙しい管理職の理解が得られないとか、その説得の時間がないとか。

何か、人事の人たち自身にもひとりひとりの多様な社員と向き合う余裕が少なくなってきている気がします。「人事はひとごと」が深く進行してるのかもしれません。

そもそも研修会が夕方終わってもまた会社に戻って仕事をするというので、懇親会への参加者も減ってきました。「飲みニケーション」が成り立たたなくなっているのは何も新入社員ばかりではないのかもしれません。

 

◯私を救った上司の言葉

今度は私の体験を紹介します。私は新卒からある出版社に20年勤めましたが、本気で辞めようと思ったことが2回はありました。

一度目は30代前半のころです。他誌から引き抜かれてきた敏腕編集長の下で、新創刊した雑誌の売れ行きも類誌でNo.1と絶好調でした。カメラマンと取材に飛び歩いたり、記事を書いたり、とやりたかった雑誌編集の仕事が面白くて、毎日が充実していました。ところが、突然、出向先のその編集部から本体に呼び戻されることになったのです。その内示を伝えに来た上司は、経緯や理由の説明もあまりなく淡々と帰っていきました。おさまらず飲み屋で人事への怒りや愚痴をこぼし、その挙句「編集の続けられる会社に転職する!」と息巻く私に、編集長がこう言いました。

「確かに今回の異動は君の本意ではないだろう。この会社では今、君は主流ではないかもしれない。でもあと10年したら、この会社も変わって君のような志向の社員も必要とされる時がきっと来るよ。」

主流じゃないのか、必要とされるのは10年も先なのか、などと疑問も浮かびつつ、何となくその時、この人の言葉を信じて10年やってみようか、と思えてきました。この人だけは私のことをわかってくれている、という信頼感のせいだったかもしれません。

二度目はそれから数年後です。新たに配属された先の上司と折り合いが合わず、鬱々としていました。聞けば、この上司の下で、心の調子を崩した社員が他にも2人いたのです。その上の上司も気づいていながら何の手も打ちません。当時、勤務を続けながら夜間社会人大学院でカウンセリングや臨床心理学を学び始めた私は、この問題の深刻さに敏感になっていました。考えた末、昔の上司で今は若くして役員になっていた人に直訴しにいきました。

「こんなマネジメントやってたら社員がぼろぼろになっていきます!」

すると彼は即座に言いました。「そんなに問題意識がはっきりしてるなら、お前がその対策の仕事したらええやん」。はっとしました。

さっそく会社の現状を調べ、企業のメンタルヘルスの勉強をして提案書を書き、半年後、私はメンタルヘルス部門の立ち上げの担当者として人事部に異動しました。そこでうつ病などのメンタル不調で休職~復職する際の本人、家族、上司、主治医、産業医との連携・調整の仕事を経験しました。採用や異動昇格の仕事の手伝いもさせてもらいました。

結局、あのときの編集長の言葉の10年はもたずに41歳でこの会社を卒業してしまいましたが、今日あるのは、この2人の上司のお陰です。もしもあの時、あのまま勢いで辞めていたら、どうなっていたことでしょう。編集者としても人事マンとしても中途半端な実績しかなかった私に少なくとも今の私のキャリアはなかったでしょう。

 

◯未来への希望を与える言葉の力

2人とも切れ者といわれ、厳しい仕事ぶりでしたが、部下を見る目も確かでした。私の状況と性格を見抜いた上で、その時、一番効くひと言をその場でくれたのです。それは、ひと言で言えば、「未来への希望」だったといえます。

制度としての「自律型キャリア形成」はこれからの会社に当然必要ですが、会社人生の節目で、こうした上司と部下の「こころ」を尽くした交流によって初めて制度に「いのち」が吹き込まれるのではないでしょうか。

部下のひとりひとりを見て、適切な言葉をかけられる上司、そういう人材を評価し発掘できる人事、これらを望むのは「グローバル人材」時代には時代遅れなのでしょうか。

 

 

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