1.技能五輪に参加する意義
技能競技大会は、あくまで選手個人の技能の競争である。年齢制限があり訓練期間も大きな差が無い以上、指導者と選手の力量が問われる。そして、選手が選抜される過程で、激しい競争が存在するかどうかは、それぞれの国の技能レベルに依存する。技能五輪への参加する意義は次の3つくらいに要約される。
1-1 競争原理による技能向上
国内大会で勝ち抜いた選手は、さらに訓練を重ねて世界大会に臨む。伝統的な競技(旋盤、フライス盤など)は、選手間の実力差が微妙で、紙一重と言われている。また、それぞれの大会で選手が工夫したやり方や手順がベンチマークとなって次の大会はそれ以上の高レベルの戦いとなる。技能レベルは、大会ごとに確実に進化し各国の技能レベルは向上し続ける。競争の無い社会に進歩が無いと言われるが、業界が閉じていて仲間内だけでビジネスをしている業種は、あっという間に世界から取り残される。競争にさらされることは、一面で怖い事ではあるが、業界全体の進歩のためには避けて通れない道なのである。
1-2 デファクト標準化
同じ部品、同じ手法、同じ評価法で競技が行われる。競技を支えるインフラは全く平等公平である。この事実は、標準化へつながる。ISOやIECなど国際機関で学術的、技術的な観点で標準化が進むデジュール標準とは異なり、技能競技大会は、競技そのものがベンチマークとなりデファクト標準となりうる。特に安全基準などは、現場オリエントの項目が挙げられており、それぞれの大会ごとにその国の安全基準を満たすように合意されるが、実は、意識しないままその安全基準は、世界への波及効果を持つ。現在は、各大会での競技課題やインフラ、安全基準も一過性であり、大会間連続で適用される訳ではない。しかし、少し意識を共有すれば立派なデファクト標準になるはずである。
1-3 技能伝承システム化
各国は、競技大会に出場させる選手の訓練を企業や訓練学校で実施している。各大会のノウハウを蓄積して、如何に効率良く選手養成をするかも競争となっている。技能訓練法、訓練用テキスト、訓練設備や道具など企業や団体、学校でそれぞれ日夜工夫されている。どこの国も企業や学校、訓練指導員、選手が三位一体となって技能伝承システムを構築している。世界大会を頂点とした技能競技が、それぞれの職業における技能伝承をサポートしていることを忘れてはならない。
2.技能五輪の動向
1999年、J.Dusseldorp氏が会長になった時、IVTOからWSI(World Skills International)に名称が変わった。職業訓練職色を薄めて、実社会における職業技能を競うと言う理念に変わってきた。従って、技能を競う要素が少なくなっても、職業として世界スケールで認知されていれば競技種目となる。たとえば、美容職種(Beauty Therapy)や介護システムなどがそれに当たる。しかし、アジア諸国をはじめとして、基本技能回帰への動きは根強く残っている。四肢五感を駆使してものを作り上げる本来の技能力を競う職種への憧憬は強い。一方で、国際分業によるものつくりの個別分散化も起こっており、特定の職種で選手を送れる国に限界が出てきた。個別技能としては、極めて重要であるにもかかわらず、選手数が少ないという理由で公式種目とならない現象も起きており、単純に参加国数で技能競技の意義を論ずることは五輪全体、言わば人類にとっても不幸なことである。
参加国数が少なくても、技能競争が極めて熾烈で興味深い職種は取りあげるべきであろう。
もう1つの動きは、ものつくりの総合力を競う職種が多くなってきた。ポリメカニクス(機械組み立て、電子回路、プログラミングなどの総合技能で一定の機構を作り上げる競技)、メカトロニクス(制御系システムを2人で完成させる競技)、チームチャレンジ(機械、電気、制御系の3名の選手で中規模な機械システムを完成させる競技)、移動式ロボット(自立ロボットを製作し、課題として与えられた仕事を競う)などの職種は、複合的な技能を必要としたり、複数の専門技能者がチームを組んで競う競技である。小型旋盤や風力発電機など具体的なシステム製品を作り込むことが課題として与えられる。その際に、プログラミング能力、ITを使いこなす力なども要求される。まさに、ものつくりの総合力が試される。
各国の五輪選手派遣予算も限られているために、規模の縮小化(日程の短縮)、競技インフラの簡素化、参加国人数の制限などが俎上に乗っていると言う。一方で、協賛企業の取り込み、マスコミ受けのする職種の導入など、入りの方にも気を配っている。オリンピックが商業化した道を思い起こす。
3.若手技能者の育成
技能五輪世界大会に出場させる選手の養成には、いろいろな工夫がされている。技能者育成法としても十分通じるところがあるので、幾つかの例を紹介したい。
3-1 マニュアル化の限界
技能訓練でまず気が付くのは、内容の濃いマニュアルの作成である。故障診断など不具合な現象から複数の絡み合った原因系に至る道は、極めて複雑である。そこで、あらゆる場合を想定してシステマティックに診断する方法がとられる。この方法では、時間をかければ間違いなく正解に到達する。しかし、それでは、時間制限のある競技には通用しない。そこで、システムの要素を全て分解し、その作動原理を徹底的に教え込む。どうして動くのか、どうなると故障するのかを原理までさかのぼって1つ1つ訓練する。理解させるのにマニュアル操作より時間はかかる。しかし、現象から原因系に到達する時間ははるかに速い。一種の勘が働くのである。理屈抜きで操作だけ覚えさせれば良いと言う促成訓練では、未知の課題に対しては対応が出来ない。遠まわりでも、原理原則、理屈から教え込むことが結果として早く訓練成果が出ると言う。
最近、原子力発電所の事故や高速道路の天井パネルの崩落など低確率であるが大規模な事故が起こっている。これらの事故を防止するためには、高度な予防保全技能、想像力が要求される。原理原則に戻れば、今何をしなければならないかが想定できる。今こそ、技能力が試されているように思えてならない。
3-2 訓練の質は訓練の量に比例する
訓練には、単純な繰り返し動作は欠かせない。来る日も来る日も同じ動作をさせられると嫌になることもある。しかし、四肢五感が勝手に動くまで繰り返し訓練を続ける。手が動くようになると同じ動作でも立ち止まって考えるようになる。ちょっとしたことを工夫する、作業順序を変えてみる、道具を変えてみる、など1つの単純動作にも工夫をするようになる。この単純繰り返し訓練という「訓練量」は、やがて「訓練の質」に変わる。道具が無い、順序を変えなければならないなど突発的なことや想定外のトラブルが起こっても対応が出来るようになる。
3-3 モチベーションの維持
訓練は、その成果が目に見えてくるまでには長い時間がかかる。その間に、指導者と選手(技能者)との間には心の葛藤が生まれる。目的意識を共有していないとこの信頼関係は崩れて行く。単純な動作の繰り返しを何日も命じることは、指導者にとって辛いことである。またミスを何度も注意する事は、ストレスがたまる。お互いのモチベーションを保つためには、目的を共有する以外に無い。選手と指導者の共有する目的は競技大会での金メダルである。金メダルを取ることは、最高の自己実現であることを理解しなければならない。会社のため、指導者のため、地域のため、両親のため、ではない。全て自分のためであり、自己実現のためである。選手も指導者もこの価値観を共有すれば、少々の困難は乗り越えられる。
3-4 生産技術へのフィードバック
若手技能者の育成は、単に競技大会でメダルを取ることだけではない。競技大会に出るためには、技能の取捨選択が起こる。課題に関連する技能だけは磨いておく必要があるためである。オールラウンド技能者でなくても良い。しかし、現場ではそうはいかない。技能のスペクトルが平滑でかつ高くなければならない。競技大会で好成績の選手は、現場では使えないと言う話しを聞く。これこそ、本末転倒で、競技大会で技能を競う甲斐が無い。実は、前述したように競技大会で訓練された選手は、高度の技のほかに、危機管理能力(想定外事態への対応力)に優れているばかりか、世界大会に出た選手は国際感覚が醸成される。1つの険しい山を征服した者は、どんな山でも登れると言う自信がつく。基礎訓練をしっかり叩きこんでおけば、はじめは戸惑うかもしれないが、間違いなく現場で本当に役に立つ技能者に成長しているはずである。
〔参考文献〕
- 技能五輪メダリストの群像(西澤紘一、オプトロニクス社、2008年)
- 日本のもの造り哲学(藤本隆宏、日本経済新聞社、2004年)
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