JAVADA情報マガジン キャリアに関する研究者からの提言【キャリアナウ】
◆2012年1月号◆
エグゼンプトとワーク・ライフ・バランス |
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「エグゼンプトとは、労働法の保護から外れている人々を指す。エグゼンプトとは、自分で自分を守り、自分で判断し、自分で決定し、自分で自分の決定に責任をもつ。自分で自分の身体や精神の健康や元気を維持し、自分で自分の時間を管理する。自分で仕事を獲得し、必要に応じて、経営者、上司、顧客と個別に交渉をする。労働時間という概念から解放された人たちであり、タイムカードを刻印することはない。その生産性は成果によってのみ評価される。」 エグゼンプトとは、学歴に支えられた階級である。エグゼンプトでない人は、ノンエグゼンプトである。ノンエグゼンプトは時間で働く人たちであり、労働法、労働組合によって守られる。アメリカから発信される人的資源管理は、すべてエグゼンプトを対象とする。企業経営の主たる関心は、優秀な人材(エグゼンプト)の定着と動機づけである。繰り返しになるが、エグゼンプトは労働時間から解放された人たちであり、高い学歴に支えられ、孤独で、自分の労働条件は、個別に使用者と戦って勝ちえなければならない。 おそらく日本は、エグゼンプトの哲学を理解できない最たる国ではないか。例えば、フランスでは「カードル(cadre)」という言葉があり、アメリカのエグゼンプトの概念に近い。確かに、日本も、賃金水準では、学歴間に一定程度の格差がみられるものの、アメリカに比べれば格差の度合いは比較にならない。図表1は、アメリカ労働省の統計であり、アメリカにおける学歴別の賃金及び失業率を見たものであるが、学歴による賃金及び失業率の格差は著しく、特に、4年制大学の卒業者と大学を出ていない者との賃金格差が大きい。厳密には異なるだろうが、アメリカでは、大卒者はすべてエグゼンプトと考えても差し支えない。もちろん、アメリカでも、賃金、評価、キャリア形成などにおいて、学歴を重視しない企業もあるが、例外的である。 日本とアメリカは全く異なる企業風土を持つ。全く異なる風土では、隣に綺麗な花が咲いていたとしても、その種子を植え付けたところで、綺麗な花が咲くとは限らない。成果主義にせよ、目標管理にせよ、エグゼンプトの哲学を理解しなければ、仕組みの一部を導入しても必ずしもうまく機能せず、また、うまくいかないからといって小手先の修正をしたところで、期待される成果は得られない。 例えば、成果主義とは何か。エグゼンプトは時間から解放されているため、時間が賃金の基準にはなりえない。だから、成果が評価の基準となる。エグゼンプトは、成果が評価の基準になるため、勤務する時間は問われない。だから、エグゼンプトは時間と場所に関係なく仕事を進める必要があり、自分で自分の時間を管理する必要がある。エグゼンプトは労働組合や労働法によって守られない。だから、自分で自分を守る必要があり、自分で自分に保険をかけ、自分で自分の心身の健康を維持する。エグゼンプトは自分で自分を守る必要があるため、より高い報酬が必要となる。だから、シックス・ディジット(6桁の数字、すなわち年収100,000ドル)が一つの目標となる。エグゼンプトの配偶者はエグゼンプトである可能性が高い。だから、ワーク・ライフ・バランスが問題となる。 私は、日本において、エグゼンプトの概念を導入すべきだと考える。ますます狭まる地球は、他の国との管理の仕組みに共通項を設けることが大切だからである。しかし、実際には、以下の理由から、日本におけるエグゼンプト概念の導入は難しそうだ。 まず、エグゼンプトは、社会の仕組みに組み込まれているため、一つの企業がいくら努力してみたところで社会全体の仕組みを変えることはできない。多くの企業及び働く人たちが、文化や風土としてエグゼンプトの概念を共有しなければ、個々の企業で、私の会社では、エグゼンプトを対象にした人的資源管理をしています、といったところで効果はうすい。例えば、職務給は代表的である。エグゼンプトの評価は成果主義であるとは言っても根っこにあるのは職務給である。職務給の哲学は同一労働同一賃金であり、長い伝統をもつ。なぜ職務給が機能するか。職務給が市場をもつためである。確かに、地域によって違いはあるものの、同じ仕事であれば、一定程度の賃金帯の中で処遇が決まる。市場水準が基準となる。日本のように、多くの企業が職能資格制度をもち、職務に関する市場相場をもたない社会では、エグゼンプトの評価基準は持ちにくい。 第二に、学校教育から仕事への移行がある。エグゼンプトは学歴に支えられた階級である。エグゼンプトという特別な階級のメンバーになるためには、基本的に高い学歴が求められる。アメリカに限らず、ドイツやフランスでも、エグゼンプトの卵たちは、大学あるいは大学院に在学中、留学し、インターンシップに参加し、自分が一人前になるための研鑽を積む。社会に出る時には、自分が一人前である意識を強くもつ。社会に出る年齢は26歳かもしれないし、30歳に近いかもしれない。いずれにせよ、自分のコンピテンシーの研鑽は自分の責任であり、社会で一人前のエグゼンプトとして認められるために準備する。ところが、日本では、多くの大学生は22、23歳で大学を卒業し、就職する。日本におけるエグゼンプトの卵たちは、半人前の状態で入社し、一人前になるまで企業が丁寧に能力開発する。欧米と同様に、日本のエグゼンプトも30歳前後に一人前になるだろうが、アメリカと日本では、エグゼンプトとして育つ環境が異なる。 第三に、結婚である。エグゼンプトの配偶者はエグゼンプトである可能性が高いため、労働と生活の時間配分は、配偶者同士で話し合い、決めなければならない。もし二人が一緒に生活しているのであれば、どちらが料理を作り、部屋を掃除するのか、から始まり、子育てや家族のケアなどを話し合う。個人主義が徹底している社会ならば、老後の親は自分で自分の面倒をみるだろう。日本は、結婚し、出産に際して、自分で子供を育てようか、それとも保育園に預けながらパートで働こうか、という選択肢がある。選択肢がある日本の女性は幸せである。核家族が進んだとは言っても、老後の親の面倒は、子供の役割が大きいと意識される場合が多いのであれば、しがらみが強く、本来あるべきエグゼンプトの夫婦の形とは異なる。 さて、近年、エグゼンプトの哲学を理解せず、隣(アメリカ)の美しい花の種子を日本に植えようとする試みに、私が苛立ちを感じるのはワーク・ライフ・バランスである。ワーク・ライフ・バランスは、2000年前後にアメリカで急速に普及した人的資源管理における考えである。繰り返しになるが、ワーク・ライフ・バランスの前提はエグゼンプトである。 私が日本におけるワーク・ライフ・バランスの導入に難しさを感じることは、何よりも日本には学歴に支えられた階級という考えはなく、また、ワーク・ライフ・バランスの対象が、主に時間で評価される若い子育て世代に目が向けられる点である。ワーク・ライフ・バランスの議論で、働く時間に議論の焦点が向けられることも、本来の意味を差し替えている。ここで言う働く時間とは、2つ意味がある。1つは、一日の労働時間が長く、残業が嵩み、また、有給休暇の消化率が悪く、労働と生活のバランスがとれていない。いま1つは、人生における働く時間であり、日本には定年があり、一定の年齢になれば、企業を退職しなければならない。前者の意味でみれば、ワーク・ライフ・バランスの議論は、長年日本で取りざたされていた長時間労働に対する議論と変わりがない。 ワークとライフのバランスはきわめて個人の課題であり、行政や政策、企業がとやかく言うことではない。何時まで働こうが、何歳まで働こうが、本人の勝手である。長時間働いてライフが崩れたとしても、それは本人の責任であり、社会や政府の責任ではない。もし、本来の意味で、ワーク・ライフ・バランスの導入を検討するのであれば、エグゼンプトの哲学から敷衍1する必要がある。すなわち、働く人たちは、労働時間から解放されている。評価は成果によって行われるべきであり、労働時間を評価基準にしない。一定の長い期間(例えば1年間)における自分の仕事が明確であり、短期(例えば1日)で仕事の成果を評価しない。企業は、年齢を理由に働く人を辞めさせてはいけない。 確かに、エグゼンプトの哲学を理解することは難しいであろうし、また狭まりつつある国際社会を考慮すれば、エグゼンプトの哲学を理解しようとする試みは肝要である。しかし、他国の哲学を理解し、受け入れるには多くの時間と覚悟が必要である。単にいいとこ取りや一挙両得であればいいが、時にトレードオフ2を迫られるかもしれない。自国のもつ美しい文化や風土を損なっては本末転倒である。グローバル化の中で、優秀な人材の獲得は至上命令であり、企業は、そのために人における差別化戦略を立てる必要がある。 では、日本の美しき文化や風土とは何か。日本企業における差別化とは何か。長期雇用である。企業は、長期雇用を前提として、働く者たちにたゆまぬ能力開発投資をする。働く者たちは、育ててくれた企業に対して恩義を感じ、企業に対して忠誠を誓う。投資と忠誠に基づいて、労使に厚い信頼関係がある。この美徳を失って何の得られるものがあるだろうか。グローバル化が進む今日だからこそ、世界に冠たる雇用システムを固持すべきである。そして、このシステムを美しいと感じる優秀な人材を世界から集めればいい。日本という風土に咲く美しい花を枯らしてはいけない。
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人的資源管理における多くの試みやアイデアはアメリカから発信される。例えば、日本における職務給や成果主義に関わる様々な評価制度や賃金の仕組みは、全てアメリカから輸入された。しかし、アメリカと日本における雇用風土は異なっており、アメリカ特有の風土を理解しなければ、アメリカから発信される多くの人的資源の仕組みは理解できない。では、アメリカ特有の風土とは何か。様々な理由があるが、あえて一つ挙げればエグゼンプト(exempt)である。私は2008年に出版した『働く元気とエグゼンプト』(麗澤大学出版会)の中で、エグゼンプトを次のように定義した。