超高齢化社会にある我が国では、年金支給開始年齢の引き上げや高齢者雇用安定法改正に伴って、これまで定年とされてきた60歳を超えても働き続けることが当たり前となってきました。
しかし、再雇用制度などの社内制度が整備されても、実際はシニア世代を十分活かしきれない企業や、処遇や求められる役割の変化に気持ちが対応できないシニアの方も多く見受けられます。
こうした就労期間が長くなることへの対応や、個人がどうしたらシニア世代になっても活き活き働き続けられるかについて、2001年に出版されベストセラーになった「仕事のなかの曖昧な不安」(2001年中央公論新社)の著者であり、「希望学」の研究者でもある東京大学社会科学研究所 教授 玄田 有史先生にお話を伺いました。
――玄田先生が執筆された「仕事のなかの曖昧な不安」は、若年者の雇用問題を中高年者が雇用機会で持っている既得権との対比から描きつつ、同時に高齢者雇用問題についても言及されていました。
出版から14年が経った現在、高齢者雇用安定法改正により企業には希望者全員の65歳までの雇用確保措置が義務づけられ、中高年者の雇用の既得権は強まったように思われますが、このことは若年者の採用抑制などに影響するのでしょうか。
玄田 2001年の執筆当時は、問題提起を意識して既得権という強い言葉を使いましたが、2015年の今は中高年者が既得権を堅持しているという意識は持っていません。当時イメージしていたのは、90年代のバブル崩壊後の状態であり、年功賃金のピークを迎える40代後半から50代前半が結果的には雇用も賃金も守られていることを申し上げました。
ただ、本が出たのと同時平行的に2000年代に進んだことは、早期退職・希望退職という中高年の方への雇用調整であり年功賃金の変化でした。
それらはかつてないくらい一気に強まったというのが重要な事実です。
今、企業は、正社員の雇用調整はできないと昔ほど縛られて考えていないでしょうし、正社員になれば定年まで安泰で、その後も再雇用や嘱託でいつまでも働き続けられると考えている中高年の方もあまりいないでしょう。もし、中高年の方が「あなたたちには既得権がある」と言われたら、とんでもないと答えるのではないでしょうか。状況は大きく変わってきているというのが基本的な認識です。
その上で、中高年が働き続けることで若者の雇用を奪うかと聞かれれば、それはケースバイケースだろうと思います。正社員という枠があって、定年が延長になり、そこに居続けることで若者にポストが回っていないというのもあるでしょうが、中高年が正社員で居続けるのは限られており、正社員の補完的仕事に変わることが多いでしょう。
中高年が会社に残るというのは、将来会社を担ってもらう人たちに技能を継承するとか、優れた人を育てるという力を見込まれての面もあるでしょうし、決して若者を追い出すわけではないです。
もうひとつ絶対に忘れてはならないのは、中高年には、これからはもっと広く働くことで社会に貢献する可能性が期待されるということです。同一の会社で働き続けることもあるでしょうが、一方で、2025年をめどに「地域包括ケアシステム」が始まり、これまでの会社の担い手であった方の地域・コミュニティでの担い手としての役割が期待されています。
これまで家庭内の問題だった老老介護も地域を通しての老老介護になる。こうしたことは、経験の面でも世代における共感の面でも若者には出来ないので、高齢者の活躍が求められます。若者も、親の介護を自分で面倒見るだけではなく、地域で高齢者同士が支えてくだされば今の仕事に専念できる。そういう好循環も期待されますので、高齢者と若者が対立関係にあるという理解をしないほうがよいと思います。
――高齢者雇用安定法では、希望すれば誰でも65歳までの雇用確保措置の恩恵が得られますが、この点はどう思われますか。
玄田 「希望」という言葉が出ましたが、今の日本では、「あなたにとっての希望は何か」と聞かれて、すぐに「これ」と答えられる人は少ないだろうと思います。
これは、自分の希望を考えるという習慣が日本ではあまりないからではないかと思うのですが、これからは、高齢者になる自分にとって、一番希望する生き方・働き方は何だろうということを高齢者になる前の段階、50歳代か40歳代後半で考えていくことが先ず必要だと思います。
会社に居続けたいというのも希望かもしれませんが、先ほどの例のように地域活動の中で支え合うことに生きがいを見いだすこともありますし、いずれにしても一人一人自分の本当の希望について考えなくてならないでしょう。
そして、こうした考える機会を企業も社会全体も作っていかなければいけないのではないでしょうか。それがないと漫然と会社に残ることを求めてしまいますし、それだと誰も幸せにならないと思います。
――先生が執筆された「希望のつくり方」(2010年岩波新書)を拝見しますと、日本で希望を尋ねると圧倒的多くの人が「仕事」に関する希望をあげ、そのうち働く目的に関しては、収入よりも「自分らしさを発揮できる」「自分のやりたいことができる」という答えが多いそうですが、今の日本人の多くは不本意な仕事をしていると言えるのでしょうか。
玄田 自分の仕事に100%満足な人はいないでしょう。不本意かどうかはわかりませんが、仕事は常に未完成な部分があるでしょうし、そうであることで成長につながりますし、もう十分だという人がいればかえって心配になります。
ただ最近は、日本人も仕事に関する希望が薄らいできて、家族にまつわることが希望だという人が非常に増えてきました。東日本大震災の経験もあるでしょうが、何のための仕事かということを考えるようになったのかもしれません。
またリーマンショックなどの影響による雇用環境の厳しさを経験したことによって、仕事だけに希望を持つことにむなしさを持つ人が増えてきたのかもしれません。今まで仕事中心であった高齢者層も、今後は仕事最優先から家族や地域も考えるワークライフバランスにシフトするのではないでしょうか。
――希望には「良い希望」と「良くない希望」はあるのでしょうか。例えば、これまで会社にさんざん尽くしたのだから、60歳の定年後再雇用では週に3日くらいでのんびり働かせてほしいと願うのは良くない希望なのでしょうか。
玄田 「良い希望」「良くない希望」という言い方をしたことはありませんが、「望ましい希望」があるとすれば、それは自分たちの手で作っていくものだろうと思います。
かつて地域を支えた鉄鋼産業の衰退や東日本大震災を経験した岩手県釜石市で調査をすることが多いのですが、そこでは動いたりもがいたりしながら、自分たちで追い求めたりすることに希望の価値があり、原動力になるという声をよく聞きます。希望に「棚からぼた餅」はない、と言われたこともあります。
希望を与えられるものだとすると、与えてくれないことを恨んだり、自分で動くことが苦になったりすると思います。
高齢者の働き方についても同じではないでしょうか。会社に希望を与えてほしいとか、国に高齢者が希望を持てるような働き方の仕組みを求めるのは、気持ちはわかりますが、自分で希望を作って行く方がいろんな困難に打ち克つ本当の力になると思います。
企業や国も、希望を与えようとするのではなく、一人一人が希望を作れる力が持て、それを支え合うという仕組みのための努力をするべきでしょう。
――「希望のつくり方」の中で、希望を考えるということは、これまでの自分にもう一度向き合わねばならないとおっしゃっておられますが、シニア世代の働き方がわからない人にとって、これまでの自分のキャリアを見つめ直せば新たな希望も見つかるのでしょうか。
玄田 そう思います。例えば、うまく再就職が出来る人と出来ない人の違いで、大切な一つは「あなたはどんな仕事をしてきたのですか?」という質問に適切に答えられることです。それは履歴書にある役職を言うのではなく、自分は仕事の何に誇りを持ってやってきたのか、どんな失敗をし、それがどんな糧になったのか、それを踏まえて今自分は何をやりたいのか、未完成であった自分を認めてこんな仕事をやり遂げたいと言えることです。そのためには、自分の過去に向かいあうことはとても大事なことです。
「仕事のなかの曖昧な不安」を書いた頃は30代後半でしたが、同じ年頃の30代サラリーマンに会うと40代になったら、「あなた、どんな仕事してきたの?」と聞かれた時に、どう答えるかを考えるようにすべきだとよく言っていました。
それまではそんなこと考えなかったし、付き合いも同僚など自分の仕事を知っている人ばかりで、そんなことを聞かれることもありませんでした。しかし今後は、自分を知らない人へ、自分がどんなことをしてきたかを語る必要が出てくると思いますし、その時、何が言えるかを考えておく、自分の中で意識するということが未来の自分を守ることになるのではないかと思います。
そのために、例えば1年に1回くらい、自分の職場とは関係ない人たちと会って「最近どんな仕事しているの?」といったことをお互いに聞き合う。その時に自慢話ではなく、また自分なんかつまらないと言って自己卑下するでもなく、ささやかな誇りを持って時には自分の失敗話をユーモアに変えながら伝えようとしてみる。それが出来る人は、仮に将来リストラのようなことがあっても何らかの仕事ができるだろうと思います。
――今おっしゃられた社外の人との結びつきを「ウイークタイズ(緩やかな・弱い繋がり)」と言うそうですが、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
玄田 「ウイークタイズ」は、職場の仲間や家族、親友といったお互いをよく知る間柄の強い繋がり(ストロングタイズ)ではない、全然自分と違う社会にいる人、自分と違う経験をしている人、その結果自分と違う情報を持っている人との繋がりを言います。全くの他人ではないが、やや疎遠な間柄とも言えます。
こうした自分と違う経験をしている人と交わることで気づきが得られます。日本の男性は苦手な部分かもしれませんが、同窓会や地域の繋がりなど、定年前ではなく、もっと早い段階で心の窓を会社の外に開けておいていろんな風を感じながら考え、行動することが今後ますます求められるでしょう。
――「仕事のなかの曖昧の不安」を書かれた当時の、不安を持っていた20代30代は、現在どうなったとお考えですか。
玄田 第2次ベビーブーマーを中心に彼ら・彼女らは、受験の競争率も高く、大学卒業時は就職氷河期でもありました。また就職後も、リストラの影響で業務負担が過重であったり、時にサービス残業を強いられながら、心の病の問題が顕在化した時代を生きてきました。
そうした過酷な人生を宿命づけられている面があると思います。企業の中で十分育成されたという思いを持てないまま40代を迎えている人がたくさんいるかもしれません。
調べて見ると、彼らが得ている40代の賃金が、前の世代の40代と比べて賃金の伸びが少ないというデータも見られます。ある種日本社会の負の部分の縮図が今の40代にあるのかもしれません。ただ世代によって悲哀があるのは望ましくないし、景気に関係なく人を育てる大切さを持つべきです。スポーツを見ても、ほどほどに若手がいて、ほどほどに中堅がいて、ほどほどにベテランがいる。こうしたバランスがとれているチームがやっぱり強い。
実際は難しいことかもしれませんが、そこであきらめるのではなくて様々な世代がいて切磋琢磨することが持続的繁栄に繋がるでしょう。
――今のミドル世代もいずれはシニアになります。
玄田 苦しい試練のような局面を多く抱えてきた世代ですし、もしかしたら今のシニア世代よりもいろいろ考えてはいるかもしれません。その中で苦しい状況を糧にして自分たちの未来を築いていくということを是非実践してほしいと思います。
――玄田先生は「仕事のなかの曖昧な不安」の中で、高齢者雇用に関しては、個人のキャリア形成の多様化が進む中では、一人一人の状況に応じて、それぞれが納得のいく道を地道に探し当てていくしか方策はない、高齢化問題を一挙に解決する特効薬はないと述べられていますが、その方策の一つとして中央職業能力開発協会では登り一辺倒のキャリアからの転換、「キャリア・シフトチェンジ」と変化対応に必要な基礎能力「プラットフォーム能力」の理解を薦めています。これについてはどのように思われますか。
玄田 とても大事なことだと思います。特に、60歳手前ではなく、早い段階からの取り組みを求めている点は共感します。40代後半、管理職になる人もいればそうでない人もいるでしょう。仕事上いろいろ選択がある時でもあるし、親の介護も考えねばならない。そのくらいから自分の人生をどのように再構築するかとか、思いがけないことが起こった時にどう対応するかを考える力を持てるようになりたいですね。
――これまで日本の企業人事は、遅い選抜で定年間近にキャリアの頂点が来るように設計されているケースが多かったですが、今後はキャリア形成の発想の転換も必要なのでしょうか。
玄田 人生の節目を今まで以上に意識するようにすべきだろうと思います。
「仕事のなかの曖昧な不安」では、「自分で自分のボスになる」と書きましたが、いろんな地方を見ていると、20代は都会の大きな組織で働いて、30代は自分の愛着のある地域でチャレンジし、そしてビジネスを起こすということが少しずつ始まっているように感じます。
そういう選択が30代の頃にあってもいいし、40代半ばから後半にこれから人生を組織の中でどう生きてい行くのか、また外に出て行く準備を進めるのか、それこそ節目節目の意識を持つということが大事になるのではないでしょうか。
――今後、年金支給開始年齢も更に引き上げられる可能性もありますし、働く期間も更に長くなると想定されますが、今のミドル層や若者は仕事に対してどのように向き合えばよいとお考えでしょうか。
玄田 小池和男先生(法政大学名誉教授)は、高度経済成長期以降の日本企業の強みは、異常と不確実性の対応能力を身につけた優れた働き手がいたことだとおっしゃいました。
その人たちは、新しい技術が入ってきていろんなトラブルが出ても、自分たちで工夫して対応する力を現場で身につけてきたそうです。
この異常や不確実性の対応能力は、新しい機械などの技術に対してだけでなく、自分の人生という不確実性の中を軽やかにその人らしく生きていくためにも必要でしょう。
先が見えた方がいいと言う人もいると思いますが、先が見え過ぎるとつまらないし、完全に先が見えるということもまず無いので、いろんなトラブルやアクシデントにめげることなく、一時的にはがっかりしても、そこからいろんな教訓などを活用して新しい自分の希望を作っていく。21世紀の高齢社会にふさわしい不確実性への対応能力をみんなが身につけられるようにしてほしいです。
中央職業能力開発協会が取り組むキャリア・シフトチェンジ推進事業も、それに通じるところがあるのかもしれません。
――最後に「希望のつくり方」の中で、年を取って人生を振り返った時に「まんざらでもない」と思えればよいという表現が出てきます。
玄田 「人生幸せでした」と言えれば最高ですが、中々それは難しいし、人生の中で希望が叶った人はどのくらいいるかなと思いますが、「いろいろあったけどまんざらでもなかった」と言えることは全ての人に十分可能性があります。
「まんざらでもない」と言える60代70代の方が増えていけば、そういう人を見る若い人も自分もああいう風になろうと思ってがんばれるようになるのではないでしょうか。
そのためにもシニアの方々が、まんざらでもない表情を見せていくことが、これからの高齢社会の中の大事な役割なのかもしれません。
――どうもありがとうございました。
(聞き手 中央職業能力開発協会 佐藤 政春)
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