「発達障がい」の可能性が考えられる学生の支援に関係する人々の間では、「なるべく早期(義務教育期間の内)に障がい認知をしておいてほしい。そうすれば本人・家族の納得を得られた支援を行えるから」という意見が、大勢を占める。しかし、仮に早期に発達障がいの確定診断を受けていたとしても、本人・家族がそれを明らかにして、必要な支援を求めてもよいと思える「信頼できる環境」が整っていなければ、実効性は乏しい。入学や就職に関して、「発達障がい」であることが選考に不利益になると思われれば、情報開示は行われない。
「各個人に必要・適切な支援を考えるための情報開示」という目的に立てば、全ての学生が対象であるから、幼児教育~高等教育までの各個人の発達・学習活動履歴のポートフォリオ資料を、本人了解の上で、各教育段階の支援者間で継承していくことが有効と考える。「個人情報」を扱うことに対する懸念もあろうが、個人情報保護法に基づき、適正な取り扱いを遵守徹底すればよいのであり、「個人情報だから扱えない、だから適切な支援が行えない」では本末転倒である。
「発達障がい」告知については、本人・家族に"困り感"を持ってもらい、「障がい」を受け入れてもらうという考えもあるが、「障がい認定申請をする以外にどうしようもない」状態に追い込み、「諦観」を期待するようなことであってはならない。「受容」「寄り添う」という言葉の響きは良いが、実際には何の益にもならず害を及ぼすだけの関わりをすることになってしまう危険性を、支援に関係する者は、十二分に認識しておかねばならない。
昨年から急激に雇用環境が悪化したため、一部の学生の中には「働けるだけでありがたい、雇ってもらえるだけでよい、過重労働も仕方ない」という考え方が強まっている。学費・生活費をアルバイトで捻出せざるを得ないため、アルバイトですでに「過重労働」に悩まされている学生も少なくない。本来ならば、学生生活に支障をきたすようなアルバイトならば、すぐに辞めるべきであろうが、アルバイトを辞めれば経済的に苦しくなり、学業も続けられないという学生もいるのである。
このような学生に対する支援も、「障がい」学生に対する支援も、ニート・フリーターに対する支援も、各個人がより満足できる社会生活を送っていくための支援であることは共通する。現実的には、限られた財源の中での公的支援であるため、「ゼロ・サム」型であるように思われるが、本来、人と人との間の支援関係は「プラス・サム」である。「ニート・フリーターがちゃんと働かないから、自分達の負担が増える」という発想ではなく、「各個人が、それぞれに適切な労働環境・条件・報酬を得られる労働スタイルを選択できる社会のメンバーになりうる」という発想を支持したい。
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