シャインの議論を私なりに置き換え、敷衍(ふえん)してみると、(A)は仕事配分の問題としてとらえることができる。企業内においては、どのような業務も、何人かの従業員の分業によって遂行されていることが普通であろう。たとえば、ある営業課ひとつをとっても、営業担当者が皆同じ仕事をしているわけではなく、課の中で顧客や取扱商品などによって営業業務が分担されているケースが多い。そうした営業業務の分担すなわち、(イ)どの仕事を、(ロ)誰が、(ハ)どの程度行うか、は通常課長によって決定され、仕事が割り振られている。メンバーの顔ぶれによってその分担は変わってくることもありうる。
人事労務担当者ではなく、たとえば現場の営業マネジャーに人材育成についてたずねると、すぐれたマネジャーほど、こうした職場での仕事配分をかなり意識しており、その配分の仕方が技能の形成、ひいてはキャリア形成につながっていることをよく認識しているように思われる。このことがまさにシャインの問いの(B)につながる。キャリアとは、「仕事経験の連鎖の中での発達過程である」とはよくいわれるところであり、キャリアの定義としても標準的なものである。問題はその「発達」の中身であり、その重要な一部であるところの「技能」の内実が、複雑な仕事をこなすマネジャーやプロフェッショナルにおいてわかっていないということなのであろう。
だが、シャインの問い(B)は、複雑ではない「簡単」な仕事においては存在しないのだろうか。シャインは存在しないと考えているかのようであるが、日本で蓄積が進んでいる製造業ブルーカラーの研究では、マネジャーやプロフェショナルよりは「簡単」な業務についているはずのブルーカラーにおいてすら、その技能の中身を探ることは重要であることがわかっている。日本のブルーカラーのベテランの多くは、いわゆる「異常処理」をおこなったり、「生産準備への参加」を通じて、他国のブルーカラーよりも、より「技術者」的な「知的熟練」を有している点で技能が高いことが明らかになっているのだ(注3)。そうした研究は、まさに生産現場での仕事配分や仕事経験を丹念に尋ねたからこそ、その技能の内実を描き出すことに成功した。
仕事配分を観察し、技能の形成過程とその中身を描き出してこそ、真のキャリアの実態がわかる。その意味では、キャリアとはあくまで、(i)どういった仕事を、(ii)どれほど経験し、そしてその結果として(iii)どのような技能が形成されたか、としてとらえられる必要がある。経験した仕事も、可能なかぎり末端のタスクレベルにまで下りて見なければならない。仮に異動経歴が似ていて、経験した部署が同一でも、形成された技能という視点から見ると、場合によってはキャリアの内実は異なっている場合があるのだ。
このようにキャリアをとらえなおすと、たとえば企業内で形成されるキャリアに関してより深い観察が可能となる。そして、そのキャリアがなぜ企業内で形成されなければならないかに関しても洞察を加えることができる。次回ではこの点にふれよう。
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