国際化やIT
技術の進歩はビジネスチャンスであるばかりではなかった。ビジネス・クライシス(事業の存亡がかかった危機)でもあった。猛烈な勢いで企業が勃興し没落している。企業間競争には海外の企業が続々と加わり、それどころか民営化の波に巻き込まれた官業までが加わっている。地上のビジネス・リモデリング(事業構造=収益をあげる仕組みの抜本的改革)は机上のビジネスモデル遊びを常にあざ笑う。
すべての企業に向いた、普遍的な経営戦略はますます無意味になってきている。基本的な経営原則が無用ということではない。バック・ツー・ザ・ベーシック(「基本に返れ」)という掛け声は、ある場合には正しい。しかし、どこの企業にも当てはまる経営戦略を皆が採れば、それが競争条件ではなくなるだけのことである。皆が安売り戦略を採れば果てしなき価格競争の消耗戦になるだけのことである。皆が郊外店を目指せば郊外店同士の相殺が激化するだけであり、皆が半導体工場を造れば何百億の投資を精算せねばならぬ危険性が増す。
国際化の掛け声を尻目に国内の市場を探す、IT革命のキャッチフレーズを無視してヒューマンサービスを強化する、価格破壊の呼び掛けに答えず手作り高価格品にこだわる、24時間ショップの噂を聞かずに開店時間を限定する、テレビ広告への誘いを断って口コミだけに頼る、アウトソーシングへの流れを絶って自社で手間暇を掛ける、減量経営の波を知らずに人材投資を続ける・・・いわば天の邪鬼の道を歩んで成功している経営はちゃんとある。
どこかの会社がやっているという最適経営法(ベストプラクチス)をいかに頭でわかったところで、経営というものは資源制約を無視できない。
頭の良い少数のエグゼクティブが、コンピュータの前に座り、どこからか動員してきたカネをあちこちに投資し回収して、経営資源を再編また再編すれば(いわゆるアセットリチャッフリング)、寸時にしてROI(投資収益率)が向上する、などというのは、ごく一部の投資会社にのみ当てはまる拝金妄想にすぎない。経営というものは、もっと地道なものである。
とはいえ、マネジメントの理論も理屈もあらばこそ、経営職・管理職についても何も勉強せず、旧態依然とした組織管理、部下管理にしがみつき昔話に花を咲かせる経営者もどき、管理者もどきが多すぎるという声には、私も同意する。しかし、同業あるいは異業の他社のマネジメントが無能揃いなので、おかげさま、自社が多少の知恵を持てば競争に勝てるのである。日本企業すべての底上げを図る、などといった大事業は個別経営のリーダーは考えなくてもよろしいのである。 |