キャリア形成推進マガジン
キャリアに関する研究者からの提言 【キャリア・ナウ】

2008年3月10日配信
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「キャリア」が意味すること
【2】
筑波大学 特任教授 キャリア支援室長 渡辺 三枝子
 常会話について、国語辞典に書かれているとおりの意味で言葉を使っているかどうか気にする人は少ない。言葉は、それを用いる人により、実際に意味する内容に多少の違いがあることは珍しくない。しかし昨今のように国語力の低下はそれに拍車をかけているのかもしれないが、日本人には言葉を正確に使おうとする努力が足りないことも確かである。日常の会話ではあいまいさが許されるとしても、他人に影響を与える責任ある仕事に関わる場合、そして外来語の場合は、あいまいで正確さを欠く言葉は問題を引き起こす原因ともなる。
 「キャリア」という言葉は外来語であるが、日本社会ではすでにかなりの歴史を持ち、一般用語化していた。たとえば、「○○○としてキャリアがある」とか「キャリア組」、「キャリア・ウーマン」などに代表される使われ方である。おそらく、「キャリア」という言葉が輸入されたとき、その言葉自体に内包される「意味」を十分に理解することなく、その当時アメリカやイギリスで当てはめていた具体的な現象や行動様式を指すものと解釈し、並行輸入したのではないかと思われる。「仕事、特に専門的な仕事に邁進する女性をキャリアウーマンと呼ぶのか?」、「なぜ上級公務員をキャリアと呼ぶのか?」を疑問に思わず、「他の国でそうで呼ぶから」と模倣したのではないだろうか。同様に、最近流行しだしたキャリアの熟語、例えば、キャリア支援とか、キャリア開発、キャリア形成、そして、キャリアカウンセリング、キャリア教育等についても、「キャリア」の意味があいまいなまま、それぞれが自己流に解釈している恐れがある。
 「キャリアは、環境と個人との相互作用、特に個人の「働く(work)」という体験の積み重ね、及び、体験への個人的な意味づけを指す」という点ではコンセンサスがある。ここでいう「働く」はworkが原語であるから、職業とは限らない。個人の生活する文脈の中での個人の営みである。学校に通う者にとってworkは学ぶという行動で代表される。このように、キャリアは文脈によって表層的な様相が異なるので、解釈が難しくなる。
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