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2005年2月10日配信
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新しい時代を迎えている人材育成策
学習院大学 経済学部 教授   今野 浩一郎   《プロフィール》
日本企業の神話
 日本の企業は人材育成に熱心である。それは、人間尊重の経営理念があるからである。しかも、人材育成は将来に対する投資のため、教育した後も社員が長く会社に定着してくれることが必要なので、終身雇用制度は「熱心な人材育成」を支え、促進する重要な装置である。さらに、人材育成は短期に成果が現れるものではないので、賃金を仕事や成果などの短期的な視野から決めるのでなく、長期・安定的に決める必要があり、年功賃金はそのための重要な制度なのである。
 また、人材育成の方法としてOJTを重視する点も、我が国の企業の特徴である。上司が部下を、先輩が後輩を仕事の場で進んで訓練するという気風があり、終身雇用制度や年功制度はここでも、それを支える主要な制度である。それは上司や先輩が進んで訓練するといっても、部下や後輩が短期間に転職するようでは指導する気になれないだろう。
 また、短期的な成果が強く求められれば、上司や先輩にとって、部下や後輩を熱心に指導することは、自分の成果に直接結びつかないので得にならず、それから手を引くことになろう。しかも、OJTでは多様な仕事を経験していくことが大切であるが、仕事や成果で賃金を決めるようでは、それが難しくなる。つまり、年功賃金はOJTを促進するうえで不可欠なのである。

教育訓練投資の少ない日本企業
 これまで、日本企業の人材育成策に関わって広く言われてきたことである。しかし、こうしたことを聞くたびに戸惑いを覚えてしまう。「人材は財産である」(つまり人間尊重の経営理念)、「人材育成は重要である」といったことは、何も日本企業だけが強調してきたことではないし、こうした総論的な発言は誰も否定しないだろう。そうなると、日本企業が人材育成に熱心であることを示す証拠を見つけなければならないが、いくら探しても見つからないのである。かえって、教育訓練費を他の先進国企業と比較してみると、日本企業がいかに教育にお金をかけてこなかったかを示す証拠ばかりが目につく。教育訓練に対する公的支出をみると、我が国政府は世界に冠たる小さな政府であるが、民間企業もそうなのかと思わざるをえない。
 こうしたことに対しては、教育訓練費の統計に不備があるからであると主張されるかもしれない。正確な国際比較に耐えられる統計が整備されていないので、「日本企業が教育訓練に熱心でない」ことを示す数字が怪しいのではないかというわけである。統計が未整備であることはその通りであるが、それにしても違いが大きすぎるという気がするし、日本企業以上に教育訓練にお金をかけている欧米企業の事例を探すことは難しいことではない。
 それに、域内で統一的に統計をとる努力を行っているEU等の動きをみると、我が国は欧米先進国に比べて統計の整備が遅れているのではないかと思わざるをえない。それは教育訓練費に興味がなかった、あるいは本気になって効果的な教育訓練体制を形成しようと考えてこなかったためではないか。少なくとも、市場で競争している他の国や他の企業がどのような教育訓練投資を行っているかが分からないままに、我が国の政府と企業は教育訓練政策を作ってきたことは事実である。これで効果的な人材育成体制を作れるとは思えない。

OJTの神話
 前で述べた教育訓練投資の統計は、基本的にOff-JTにかけた費用を調べたものである。それを理由に、日本の教育訓練投資が少ないのは、日本企業が主にOff-JTでなく、OJTで人材を育成したからであると主張されるかもしれない。こうした主張は、「OJT中心の人材育成が日本企業の特徴」という神話につながるが、その神話も怪しい。世界のどの国をみても、主要な人材育成策はOJTであり、その点で日本が他の国と異なることはない、ということはよく知られている事実であるからである。
 それに加えて、日本企業が将来を見据えて、計画的、戦略的にOJTを行ってきたというのも怪しい。OJTによって人材を効果的に育成してきたことは否定しないが、偶然そうなったのではないのかと思えるからである。
 最も効果的なOJTの方法は、より難しい仕事を次から次へと経験し、そのなかで多くのトラブルに直面し、その解決に苦労することにある。その点からすると、我が国の企業はたいへん良好な環境に置かれてきた。企業が急テンポで成長し、新しい設備と技術が次から次へと導入され、その結果、新しい仕事が次から次へと現れてくる。企業はそれに追いかけられるように人材を配置し、社員は苦労しながらもそれに果敢に取り組む。仕事が人材を作るというOJTの基本からすると、こんな好条件はなかったのではないか。
 さらに人材構成からみても、OJTが機能する好条件があった。急テンポで組織が成長してきたので、社内には若い人材が次から次へと入ってくる。その結果、ピラミッド型の人材構成が形成されていた。そうしたときには、より高度な仕事に新しい人材を配置するにしても、新しく登場した高度な仕事に人材を配置するにしても、多数の若い社員の中から、優秀な人材を選択して配置すればOJTは有効に機能した。そうして選ばれた有能な人材は、自動的に高度な仕事を次から次へと経験できたからである。
 そこでは、将来を考えて事前に優秀な人材を育成していくことは必要でなかった。必要なときに、豊富な人材プールのなかから人材を選び出すことで対応できたのである。乱暴にいえば、戦略的に、意識的に、あるいは計画的に考えなくても、自動的に人材が育っていく環境にあったのである。

求められる意識した戦略的人材育成の必要性
 しかし、時代は確実に変わりつつある。今、物づくりの現場では、団塊の世代が引退年齢を迎えつつあるなかで、技能継承が深刻な問題になっている。厳しい合理化のなかで人員のスリム化が進み、若手が新規投入されずに、人員構成はピラミッド型が崩れ高齢化してきた。そうなると、競争が激化し、新しい技術が導入されて仕事が高度化しても、その仕事は豊富にいるベテラン技能者でまかなうことができる。つまり、急速に拡大する高度な仕事を追いかけるように、ベテランは一段上の仕事に移り、豊富な人材プールから選ばれた若手はその後を追いかけるという人材育成の好循環は崩れてきたのである。
 しかも重要な点は、好循環が機能していた時代には、高度な仕事の拡大が急テンポであったので、今の需要を満たすために社員を一段上の仕事に配置し、 OJTで育成することが短期的に求められ、それが長期的な人材育成に自然とつながっていた。それに対して、今では、高度な仕事が発生しても、短期的にはベテラン社員で十分に対応できるのである。このことは、我が国の企業が世界の先進国の仲間入りを果たし、人員構成が安定期あるいは縮小期を迎えると、不可避的に起こることなのである。
 そうなると、今必要としないが、将来を考えると必要となる人材に長期的な観点から投資する必要性がでてくる。このことは、日本企業が築いてきた従来型のOJTベースの人材育成策を改革しなけばならないこと、また、ようやく長期的な観点にたって意識的、計画的に人材を育成するための戦略的な人材育成策を作らねばならない時代になったことを示している。人材育成策は間違いなく構造改革の時代を迎えている。

☆ 今野先生には、次号についてもご執筆をお願いしています。 ☆
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